年長者としての責任を感じさせる

以上が、定年間際に裁判に踏み切った田中先生の語りである。

冒頭の語りにある通り、田中先生には、長時間労働を無理にさせられているのに対価が支払われないのは単純におかしいという思いがあった。

そこに、定年退職というタイミングが重なった。本年度で満60歳になる。この現状を次の世代に残してはならないという年長者としての責任を感じた。最後の一年であれば、人事などの点で不利益を受ける可能性も低いと考えられた。

教員の働き方改革の機運も高まるなか、まさに今しかないタイミングで、裁判が開始されたといえる。第1回の口頭弁論は、2018年12月14日、さいたま地裁(石垣陽介裁判長)において開かれた。田中先生の想定を超えて、たくさんの傍聴者が訪れた。第2回口頭弁論は2月22日に開催されたばかりだ。大学生から退職教員まで第1回よりもさらに多くの傍聴者が席を埋めた。遠くは、関西方面から駆けつけた人もいた。

特定の団体の支援なしで裁判を起こした

私自身も、第1回、第2回と裁判を傍聴してきた。第2回の期日はそもそもほとんど知られていなかったし、その場での審理時間は10分ほどにすぎないことも予期されていた。それにもかかわらず、第1回よりも傍聴者が増え、その後の報告会には約30名が集い、会議室の席が足りないほどであった。

田中先生は、特定の団体の支援を借りることもなく、裁判を起こした。各回の口頭弁論直後の報告会に集まった老若男女は、見事にみんな別々の背景や職業をもっている。教員の長時間労働に関心があるということだけが、唯一の共通点である。

裁判の勝ち負け以上に、「残業代が出ていないということを、日本中の人に広く知ってもらいたい」という田中先生にとって、闘いの成果は、すでに見え始めているのかもしれない。

【参考情報】
上記のインタビュー記録は、第1回口頭弁論の数週間後に収録したものをベースに、新たに第2回口頭弁論直後の取材で得た情報を追記して構成した。
裁判における田中先生の具体的な主張や争点については、さまざまな報道で言及されている。また、田中先生が3月に入って公開したウェブサイト「教員無賃残業訴訟・田中まさおのサイト」には、今回の裁判に関する各種資料が掲載されている。
なお、田中先生の言葉にじっくりと触れたい方は、昨年12月のインタビュー動画をご覧いただきたい。後半部分には、第1回口頭弁論時の田中先生による意見陳述の再現動画を収録した。ぜひ田中先生の思いを感じ取ってほしい。
内田 良(うちだ・りょう)
名古屋大学大学院 准教授
1976年生まれ。専門は教育社会学。ウェブサイト「学校リスク研究所」を主宰し、また最新記事をYahoo!ニュース「リスク・リポート」にて発信している。著書に『学校ハラスメント』(朝日新書、近刊)、『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『教師のブラック残業』(学陽書房、共著)、『教育という病』(光文社新書)などがある。ヤフーオーサーアワード2015受賞。Twitterアカウントは、@RyoUchida_RIRIS
(写真=iStock.com)
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