「介護市場は現在の約10兆円規模から、25年には約20兆円に倍増すると予測されています。また介護事業は、急速に高齢化する日本社会になくてはならない産業です。そこで24時間・365日、お客さまの生活に密着し、介護サービスによってリアルなメリットを提供することができる。当社の経営理念の実現を考えたときに介護事業以上のものはありません」

そして、当社が目指す方向をよりわかりやすくするため、「安心・安全・健康のテーマパーク」というキャッチフレーズも考案しました。その結果、紆余曲折はあったものの、介護事業へ本格的に参入を果たすことができました。社内外のステークホルダーと、最終的には価値観を共有できたからだと思います。当社は現在、介護業界で売上高第2位、居室数第1位となり、経済界からも注目されるようになりました。

怒鳴られても、持論はまげず

私はあえて言いづらいことを話すとき、小手先の話術に頼ることはしません。今ご紹介したように、ファクトとストーリーを明確に示し、相手に理解してもらえるまで、ブレずに訴え続けます。そうしたスタイルが身についたのは1992年、アジア開発銀行に出向したのがきっかけでした。スタッフの国籍はバラバラで、女性の幹部も活躍していました。まさに“ダイバーシティ”の世界で、強烈なカルチャーショックを受けました。多様な価値観の交錯するそうした環境では、客観的な事実に基づいて自分の意見をはっきり伝えなければ、コミュニケーションが取れなかったのです。

そして4年間の勤務を経て帰国すると、今度は当社(当時は安田火災海上保険)が“ガラパゴス状態”にはまっていることに、強い危機感を覚えました。ガラパゴスの典型が、横並びで昇進する年功序列の人事制度でした。96年に人事部特命課長になると、成果に基づいた評価・賃金制度を軸とする、抜本的な人事制度の改革案を提言しました。

本社の部長は当時、すべて同格とされていたのですが、私は部長ポストを職責の重さなどに応じて「ABC」の3段階に格付けしたところ、社内で物議をかもしました。とりわけ、既得権益を持つ幹部社員の反発はもの凄く、ある幹部から「お前は危険思想の持ち主だ」と怒鳴りつけられたこともあります。しかし、私は上司や経営陣に「このままでは、当社は世界に置いていかれてしまう」という持論を展開し、何とか社内を説き伏せたのです。

私はよく上司とも侃々諤々の議論を繰り広げました。信頼できる上司であればなおのことです。その人を説得できなければ、ほかの人も説得できないと考えたからです。私はむしろ、信頼関係を築きたい人物なら、ときに苦言を交えた本音でぶつかるべきだと思います。