なぜ私たちは「SNS疲れ」に悩まされているのか

情報技術は、インターネット黎明期の1990年代には、すでに物理的な距離や時間を不問にする技術として理解されていたように思う。地球の裏側の出来事もほぼ同時に知ることができ、国際郵便とは違って、情報も一瞬で届くようになる技術は、同時期に人口に膾炙した「グローバリゼーション」という概念の中心的な内容でもあった。

情報技術は、時間と場所を不問にする。私たちは、この20年の間、この理解でやってきた。しかしこのような理解が、そもそも拙かったのではないだろうか。確かに情報技術は、時間と場所を不問にしたが、それは、20年前に、私たちが期待した通りのことではない。いまや明らかなのは、情報技術は、私たちから不要な時間と場所を「省いた」のではなく、その全てを「奪い去った」ということだ。

思うに、私たちが、いま取り戻したいと望んでいるのは、物理的な時間であり、距離であり、場所なのではないだろうか。「SNS疲れ」というのも、情報技術があまりにも対人的な距離と時間を奪い、つながり過ぎることで生じている問題だ。

にもかかわらず、私たちは、目下の状況を改善する試みにおいてさえ、「環境」をおざなりにしたままで済まそうとしている。先ほども述べたように、私たちの意志力や、デバイスの機能ばかりに注目し、それだけで何とかしようとしているのだ。

総務省の「テレワーク」に決定的に欠けていること

「デジタル・ウェルビーイング」の一環として新たに実装された機能を、自動車のシートベルトに譬えるのは、適切だとは思えない。なぜなら、シートベルトが身の安全を守るのは、装着する意志やその機能のおかげというよりも、道路交通法という「環境」とそれによる規律訓練によるところが大きいからだ。スマホ使用の過剰を改善する試みには、そうした「環境」への注目が、まったく不十分だ。

総務省が進めているテレワークも同じ轍を踏んでいる。「平成29年版 情報通信白書」では、「テレワークは、ICTを活用して、時間と場所を有効に活用できる柔軟な働き方を可能にするものであり、就業者のワーク・ライフ・バランス向上や、企業の生産性向上に貢献するもの」だとされている。ICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)を活用すれば、会社の所在地へ出勤する必要がなくなるので、通勤の負担もなくなれば、エネルギー消費も抑えられるし、過疎化が進む地方への人の移動も促せ、ワーク・ライフ・バランスも回復できる、と良いこと尽くめだと謳っている。

総務省が想定しているテレワークの働き方は、在宅勤務、モバイルワーク、施設利用型勤務の三つだ。施設利用型勤務は、どこか別のオフィスや施設を就業場所にすることだから、出勤場所が変わるだけのこと。モバイルワークは、移動中の車内やカフェなどでの仕事が想定されているが、仕事を家に持ち帰ることもままあることだろうから、結局は、在宅勤務を含むことになる。