現役時代の職業によって、定年後の経済力、生き方はどう変わるのだろうか。職業別に「リアルな老後」を紹介しよう。3人目は「国内大手メーカーOB」の立本浩太さん(仮名)の場合――。(全5回)

※本稿は、「プレジデント」(2018年11月12日号)の掲載記事を再編集したものです。

55歳のとき、家族の人生設計をシミュレーション

就職先に総合電機メーカーを選んだのは「大学では法律を専攻し、文系の少ない会社で希少価値を生かすにはメーカーがいい、またこの先どんな業界が伸びていくかを考えたら電機だと思ったから」と立本浩太さんは語る。

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仕事は華やかな印象のある広報・宣伝部門を希望したが、事業所の人事・総務部門に配属。これが立本さんの職業人生の柱となるが、同じ人事部門でも主流ではない道を歩むことになる。最初のきっかけは29歳のときの海外赴任。海外留学・研修生の社内公募に応募し、合格後、イギリスで立ち上げた子会社の家電工場の研修生として赴任した。

「トレーニーといっても従業員約1000人の会社に日本人は私を含めて10人。一番若かったので就業規則の作成や人事制度をゼロから設計、労働組合との交渉など何でもやらされました。不良品や汚い工場の環境改善、現地の従業員とのトラブル処理など大変でした。1年間の赴任でしたが、私にとっては5年に匹敵するぐらいの経験でした」

修羅場の経験を経て、帰国後は研究所や工場の総務部門を経て37歳で本社の生産技術本部の課長職に就いた。年収は900万円。本社の中枢の人事本部ではなく、エンジニア主体の技術部門やグループ企業の総務・人事全般の仕事を担当した。「パソコンを使いこなす周りのエンジニアに刺激され、教えてもらいながらワード、エクセル、パワーポイントは事務系ではいち早く覚え、PCスキルを身につけるのにも役立った」(立本さん)。

バブル崩壊後の会社の業績低迷で転機が訪れた。余剰人員対策を担当する人材開発センター長に。主な仕事は工場の人員を一時的に自動車メーカーの期間工として引き受けてもらうこと、課長・部長などの管理職層の関連会社や他の会社への移籍を促すリストラ支援の仕事だった。