「ゾゾ前澤社長の1億円ばらまき」の功罪

▼ケース(1)ゾゾの前澤友作社長がツイッターのリツイートをしてくれた人にお年玉として総額1億円をばらまく

このケースは特異かもしれませんが、基本的にお金をばらまく行為自体を不快に思う人がいるのは事実です。義務論からすれば、お金をばらまくという行為以前に、そもそも「○○をしてくれたら××する」というのは、真に正しいことではないとして退けられます。正しいことなら、無条件であるべきだというのです。だから悪なのです。仮にこれが無条件でも、もしお金で人の心を引き付けようというのなら、それは人間の尊厳を傷つけることになるので悪になるように思います。

功利主義なら、前澤さんにとってはいい宣伝になるし、経済効果もある。おまけにお金をもらった人は幸せになるので、文句なしに善ということになるでしょう。

徳倫理なら、前澤さんがどういう状況で、どういう意図でお金をまいたのかが問われてきます。もし本当に、利益の還元で、かつ人々を幸せにしたいと純粋に思っているのなら、善でしょう。そうではなくて、ただの商売上手でうまいこといっているだけなら悪でしょう。

総合すると、これはお金というものをどうとらえるかで大きく善悪の評価が変わってくる問題であるように思います。また、動機と結果のどっちを重視するかでも評価が真っ二つに分かれる、ある意味で「良問」です。

新卒4年目で転職は非常識なのか

次は、職場でよくあるケースを取り上げましょう。

▼ケース(2)新卒入社4年目、様々な研修の機会をもらい、ようやく一人前になった社員の転職

このケースでは、会社に育ててもらうだけ育ててもらい、これから活躍という時になって辞めてしまう社員の善悪が問題になっています。これもよくある話です。

義務論からすると、育ててもらったのにそれに見合った貢献もなく辞めるのは、まともな人間ならおかしいと思うでしょう。だから悪になりそうです。そこで今だと会社のお金で海外研修に行かせてもらったような場合は、その費用を返す約束をしたりします。功利主義なら、会社にとってはマイナスでしかないので、悪ということになるでしょう。ただ、これが難しいのは、そういう人が別の場所でより活躍できるなら、社会全体としてはプラスになるということです。そのようなケースは多々あります。

徳倫理だと、もっと具体的に、その人がどういう研修を受けたのか、この4年間の仕事への貢献はどうだったのかといったことを考慮する必要が出てきます。別途契約がない限りは、研修も含めて仕事のはずですから。

総合すると、やはり特別な約束でもない限りは、なかなかこのケースを悪とすることはできないように思います。実際、組織が人を縛り付けることはできませんから。