【義務論:おぼれている人を助けるのは正しい】
そこで、私たちはいくつかの基準を生み出し、その基準に照らして個々の行為が善なのか悪なのか決めています。さらにはどれくらい悪いかで、与える罰の程度を決めているのです。それが法律であり、倫理というルールにほかなりません。
私たちが採用している主な善悪の基準は、「義務論」「功利主義」「徳倫理」の三つです。これは長らく哲学や倫理学の世界で形成されてきたもので、法律を作ったり、倫理規定を作ったりする際のベースになっています。
まず義務論とは、ごく簡単にいうと、まともな人間なら合意するであろうことを正しさの基準にします。しかもその正しさは、状況によって変わるものであってはならないといいます。これはドイツの哲学者・カントがつくった基準なのですが、非常に明快ながらもなかなか厳しいものだといえます。
たとえば、おぼれている人を助けるのは、まともな人間なら正しい行為だと思うでしょう。でも、自分も泳ぎが苦手でおぼれてしまうかもしれない場合はどうでしょう? しかも自分には幼い子どもが3人もいるようなら、さすがに躊躇するのではないでしょうか。
【功利主義:おぼれている人を3人助けられるならば正しい】
これに対して、功利主義とは、効用つまり善や快楽を最大化するのが正しいとする基準です。「最大多数の最大幸福」のスローガンで知られる、イギリスの思想家・ベンサムがつくったものです。こちらはある意味で簡単です。なぜなら、効用を最大化するための計算をすればいいだけだからです。
おぼれている人を助けるほうが効用が大きければ、助けることになるでしょう。単純にいうと、たとえ自分一人が犠牲になったとしても、仮におぼれている人を3人助けることができるなら、その方が数が多いので正しいということになるわけです。
しかし、自分の子どもはどうなるのかという心配はありますよね。親がいなくなると困るでしょう。なんだかしっくりきません。そこで三つめの徳倫理を見てみましょう。正しさとは、その人の徳、つまりその人の性質によって決まるというものです。もともとは古代ギリシアの哲学者・アリストテレスが唱えた基準です。