子どもをパチンコに連れていくべきではない

次に、社会で問題となっているようなケースを取り上げます。

▼ケース(3)小さな子どもを連れてパチンコに行く

パチンコ自体はもちろん悪ではありませんが、どうしても親がパチンコに集中しがちで、長時間子どもをほったらかしにしてしまいます。また、店内の空気が悪かったり、音がうるさかったり、出玉で転びやすいという問題もあるでしょう。そこで善悪が議論になるのです。

義務論だと、小さな子どもへの健康や生育環境への影響ということでいうと、悪になるような気がします。まともな人間なら子どもの健康や生育環境を重視して、そのような行動はとらないと思います。功利主義の観点からすると、親はパチンコで快楽が得られるし、パチンコ屋も儲かるので、子どもにとって多少マイナスであろうが正しいということになりそうです。徳倫理なら、その親がどれほどストレスを抱えているかとか、子どもを預ける場所はないのかといったことを考慮しないと、必ずしも悪とはいえないことになるでしょう。

総合すると、親の置かれた状況にもよりますが、これはやはり悪ということになりそうです。

不倫は必ずしも悪ではない

▼ケース(4)配偶者も暗黙の了解をしている不倫

不倫は文字通り倫理に悖(もと)るわけですが、犯罪にはなっていません。しかも、配偶者が暗黙の了解をしているとなると、はたして悪なのかどうか。

義務論からは、それでもまともな人間なら、配偶者の尊厳を傷つけるような行為は悪だということになるでしょう。事実、義務論を提唱するカントは、不倫はダメだと断言しています。相手が暗黙の了解をしていても、不倫であることには変わりありません。一夫一妻制の元で結婚している限りは。現代日本社会の基準はこれでしょう。

功利主義からは、みんなが幸せになるなら正しいということになります。配偶者が了解しているなら、何もマイナスはないではないかと。日本ではなかなかこうはなりそうにありませんが、国によってはこういう理屈も通るかもしれません。

徳倫理の場合は、その不倫をしている人がどういう夫婦関係にあるかです。事実上夫婦関係が破綻しており、配偶者が不倫をしてくれた方が気楽だと思っているなどの事情があれば、必ずしも悪にならないように思います。

難しいですが、総合すると、結局人間同士の関係なので、相手がどう思っているかというのは重要なのではないでしょうか。だから現に不倫はなくならないのです。どれだけ社会が非難しようとも、自分の置かれた状況は別だととらえてしまう。一概に悪とはいいきれないのはそのためです。

以上のように、なかなかすっきり善悪を決めるということはなかなかできません。事情によって判断が変わってくるのもたしかです。だからこそ大いに議論をして、事例を積み重ねていくことが必要でしょう。さて、みなさんは4つのケース、どう判断しますか?

(写真=AFP/時事通信フォト)
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