「片隅にもない」が2回も出てくる真意

安倍氏は「片隅にもない」と言っている間、ずうっと解散しようと考えていた。

安倍氏自身、後日の会見で「衆院解散が私の頭の中をよぎったことは否定しないが、熊本地震の被災地では今でも多くの方が避難生活を強いられている。(衆院選は見送り)参院選で国民の信を問いたいと判断した」と、同日選を考えていたことを事実上認めている。

「片隅にもない」は、ウソだったのである。解散についてはウソをついてもいいとはいえ、ウソをついていたことを認める首相は珍しい。

だから今、安倍氏が何回「片隅にもない」と語っても誰も信じないばかりか、逆に「ホントは考えているのではないか」とざわつくのである。

ここで、冒頭に書いた年頭会見での安倍氏のコメントをもう一度、読み返していただきたい。短いフレーズの中に「片隅にもない」が2回も出てくる。発言の初めに解散論が「一部にあるということは承知をしております」とわざわざ触れていることも含め、自分の発言で解散風をあおり、永田町をざわつかせようと考えているとしか思えない。

「片隅にはない」が「真ん中」にあった

「片隅にもない」で、もう1つエピソードがある。安倍氏の大叔父にあたる佐藤栄作氏の話だ。佐藤氏は首相在任中、1966年暮れと68年に2回衆院を解散している。ある時、記者から解散の可能性を問われて「頭の片隅にもない」と答えていた。後日、佐藤氏が衆院解散を表明した後、記者団から「ウソ」を指摘されると、佐藤氏は悪びれず「頭の片隅にはなかったが、真ん中にあった」と語ったというのだ。

「頭の真ん中で考えていたが、片隅にはなかった」とは、今風に言えば典型的な「ご飯論法」だ。いずれにしても、今から50年以上前に安倍氏の大叔父が「片隅にもない」を解散にからめて使っていたことは興味深い。

佐藤氏の発言は、都市伝説のようになって永田町に伝わっている。そういう経緯を知るベテラン議員や古手の秘書たちは、安倍氏の「片隅にもない」は、逆に解散の警戒警報と受け止めるのだ。

安倍氏にとっては「片隅にもない」は、先祖代々引き継がれる秘伝のタレのようなものなのだろう。