神奈川県の法科大学院がすべてなくなった

2018年春、首都圏の神奈川県にあった4つの法科大学院がすべてなくなった。山陰、四国など地方ではもっと悲惨である。この主因は将来の法曹人口の読み違いと、文部科学省と法務省との縦割り行政である。文部科学省は法科大学院を管轄し、法務省は司法試験を管轄している。

木村誠『大学大崩壊 リストラされる国立大、見捨てられる私立大』(朝日新書)

法科大学院のリーガルマインド(法の適用をする際に必要な的確かつ柔軟な判断力)を重視する教育と、法律や判例の知識を重視する司法試験の内容とがマッチしていない状況こそが、縦割り行政の結果といえる。だから法科大学院を卒業しないでも受験できる予備試験に、優秀な学生が集中するという皮肉な結果を生んだ。

高学歴ワーキングプアや博士ホームレスという大学院卒の悲惨な状況も、将来の博士需要を見誤った文科省の誤算が主因である。ただし文科省だけの責任ではない。法科大学院の設置も大学院の重点化も、会社経営者など経済界の要望がバックにあった。

企業のコンプライアンス(法令順守)が進むには、今までの法学中心の法学部の教育体制では対応できないとして、リーガルマインドや実践的に法律を学ぶ法科大学院の創設を主張したのである。スタート時に予想以上の数の大学が法科大学院創立に走り、やや乱立気味になった。

政策が当事者を忘れてしまった結果

その後、司法試験の合格実績が低迷し、志願者が減少した法科大学院が次々と撤退した。大都市と地方との法曹人口(特に弁護士)の不均衡を是正するという大義名分も、地方の法科大学院の撤退によって、名実ともに空文句に終わった。さらに司法試験の合格者数も当初は増えたが、弁護士の就職難が表面化するにつれ、頭打ちになった。法科大学院を卒業しても司法試験に受からず、以前のように司法浪人も生まれた。明らかに法科大学院制度は失敗した。

弁護士や博士を大量に生み出して、お互いに競争させるという新自由主義的発想が背景にあったのは確かだ。1990年代に始まった大学院重点化政策もその一つである。グローバル化も法曹人口の拡大も、時の経済界のオピニオンリーダーの意見に影響されている。

大学院重点化によるポスドクの就職難や法科大学院の淘汰の問題も、時の経済界の要望や意見をそのまま反映するのでなく、当事者となる若者たちの進路にプラスとなるように設計するという基本を忘れてしまった結果だ。

木村誠(きむら・まこと)
教育ジャーナリスト
1944年、神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部新聞学科卒業後、学習研究社に入社。『高校コース』編集部などを経て『大学進学ジャーナル』編集長を務めた。現在も『学研進学情報』などで活躍。
(写真=iStock.com)
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