われわれレベルで考えてみても、失職やローン破綻、年金問題など、未来への不安の種はつきない。それに対して、冷静にリスク回避の手を打っておくことは必要だが、ダメになってもいないのに「どうしよう」と慌てるのは愚の骨頂だ。
ところが最後に登場する列子は、こんな過激な主張を繰り広げてみせる。
「天地が崩れるというのも間違いなら、崩れないというのも間違いだ。崩れるかどうかなんて、人にわかりっこない。崩れる、崩れないというのは、物事の相容れない両面の一端なのだ。生きているうちは死のことはわからない。死んだ後に生きていることもわからない。未来から過去はわからないし、過去から未来もわからない。崩れる、崩れないも同じこと、そんなことで心を悩まさないことだよ」
これは名付けるなら、「人間の小知恵では、そもそも何が安定し、不安定なのかなどわからない」派だろうか。現代でいえば、こんな感じだ。
80年代後半のバブル景気の頃、人気の就職先といえば給料もよく安定している銀行や証券だった。ところが、ご存じのように失われた15年で、その期待を裏切られた人も少なくなかった。就職時の似たような失敗は、各年代で繰り返されてもいる。
一方で、昔は「子供の読み物」とバカにされていたコミックやアニメなどは、海外からの高い評価を背景に今や日本文化の象徴。手塚治虫は神様扱いだ。
結局、人々の拠って立つ基盤は、その予想を超えてダイナミックに変化していく。土台、先など読めない人間が、不安など抱いてどうする――これが我々に対する列子のメッセージなのだ。