※本稿は、岡本裕一朗『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』(早川書房)の第6講「ビットコインは国家を揺るがす」を再編集したものです。
「自由」にはいろいろな意味がある
【岡本】経済活動において自由をどこまで認めるべきか。この問題を考えるためにまず、「自由」という概念について掘り下げてみましょう。
一口に自由といっても、哲学的にはいろいろな意味があるので、誰が唱えている「自由」を考えるのかがポイントになります。
ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』が、一番古典的なものでしょう。おそらく日本でも、自由の概念はミルの考えに一番近いだろうと思います。ミルの自由論は小学生や中学生でも必ず知っている考え方です。世界的にも、ここ200年ほど主要な学説になっています。
正式には「他者危害則」といい、俗名は「自己決定原則」です。他人に危害を与えない限り何をしてもいい。日本風にいいかえると、他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいけれど、他人に危害を加えることは許されない。他者に危害を与えるか与えないかで、自由が許されるかどうかが決まるというのが、ミルの自由論の基本です。
「私の勝手」vs. パターナリズム
たとえば女性が奇抜なメイクをしたからといって、それが他人に危害を加えるのかどうか。「こんなことをしたら人に笑われる」とか「趣味が悪い」といわれるのは、彼女自身がそれをどうとらえるかの問題です。その人自身の不利益になる行ないは容認するのがミルの考え方で、他人に対して危害を与えることは基本的には許されないけれど、自己危害については放置します。
こうした姿勢を「パターナリズム(父権的温情主義)を禁止する」といいます。
もともと「パター」が語源的に「お父さん」からくるので、お父さんのように子どもを守り、おせっかいを焼くのがパターナリズムの基本です。
ミルの考え方は、「他人に迷惑をかけなければ私の勝手でしょ」というものですが、その「私の勝手」に対して、いやいやそんなことをするとあなたが困るよ、それはあなたのためにならないですよとやめさせるのがパターナリズムです。日本ではパターナリズムが多く見られるといわれます。
「おせっかいはやめて」と主張することは、「愚行権」という言い方をします。愚かな行ないも、それは私の問題であって、他人がとやかくいうことではない、ということです。