低学年に「節度・節制」を教え込むという問題

また、低学年用を中心に、すべての教科書に採用されているのが「かぼちゃのつる」という話で、原作者は児童文学作家の大蔵宏之(1908-1994)である。低学年向けゆえ、多くは絵やイラストを使用した、紙芝居風の作品となっている。

【かぼちゃのつる】

おひさまが、ぎんぎら ぎんぎら まぶしい あさです。

かぼちゃの つるは、ぐんぐん のびて いきました。

(ミツバチ)かぼちゃさん、こっちは ひとがとおる みちだよ。

(かぼちゃ)そんな こと かまうもんか。

(ミツバチ)かぼちゃさん、 あなたの はたけは、 まだあいていますよ。

(かぼちゃ)ほっといて くれ。ぼく、そっちへ のびたいんだい。

(スイカ)かぼちゃさん、 わたしの はたけに はいらないで。

(かぼちゃ)すこしくらい いいじゃ ないか。けちけちするなよ。

(小犬)かぼちゃさん、ここは みんながとおる みちだよ。これでは とおりにくいよ。

(かぼちゃ)またいでとおれば いいじゃ ないか。

ぶるるるる。

トラックが とおりました。そして、あっというまに、かぼちゃの つるを きって しまいました。

おひさまは、あいかわらず、ぎんぎら、ぎんぎら、てりつけて いました。

(かぼちゃ)いたいよう。いたいよう。ああん、ああん。

この「かぼちゃのつる」は、学習指導要領の「節度、節制」の項目に対応している。指導内容に「わがままをしないで、規則正しい生活をすること」とあり、この話におけるかぼちゃは、周囲の忠告も聞き入れず自分の「わがまま」でつるを伸ばしていったところ、最後はトラックに轢かれてつるを切られてしまうという「問題児の悲劇」といった描かれ方だ。

だが、これは「かぼちゃは悪い」という話以外にはなりようがない。小学校低学年とはいえ、「とにかくわがままはいけません。でないとかぼちゃのようになってしまうよ」と、葛藤も救いもない話で「節度、節制」を教え込むのは問題がある。

なぜ「つるを伸ばしたかった」のか

この「かぼちゃのつる」の話で抜け落ちているのは、なぜ、かぼちゃがそれほどまでにつるを伸ばしたかったのか、という点である。

人間の行動には動機があり、一見わがままに見える行動にも、必ず理由がある。たとえばブランコに乗る順番を守らず、列に並ばないで割り込んだ子どもがいたとしたら、それは待つのが嫌で、一刻も早くブランコに乗りたかったという動機がそこにはある。その動機が、果たして他者の権利とどうぶつかり合うのか、それを考え、他者と議論することが重要である。

同じ学習指導要領には「個性の伸張」「希望と勇気、努力と強い意志」という項目もある。多様な個があって公があるという考えに立てば、自分がやりたいことをやるという「わがまま」が、いつなんどきであっても絶対に悪いとは言えないだろう。

つるを伸ばすことは、心身の成長とも考えられる。かぼちゃがなぜ、それほどまでにつるを伸ばしたかったのか。そうした説明もないまま「悪いかぼちゃ」を描く教科書では、分かりきった結論を言う子どもしか出てこないはずである。

寺脇 研(てらわき・けん)
京都造形芸術大学 客員教授
1952年生まれ。東京大学法学部卒業後、75年文部省(現・文部科学省)入省。92年文部省初等中等教育局職業教育課長、93年広島県教育委員会教育長、1997年文部省生涯学習局生涯学習振興課長、2001年文部科学省大臣官房審議官、02年文化庁文化部長。06年文部科学省退官。著書に『国家の教育支配がすすむ』(青灯社)、『文部科学省』(中公新書ラクレ)、『これからの日本、これからの教育』(前川喜平氏との共著、ちくま新書)ほか多数。
(写真=時事通信フォト)
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