「外国人への生活保護受給は違憲」は最高裁が完全否定

「憲法上も民法上も、日本が外国人に保護費を支給する義務などありません」とする意味不明な「片山理論」はこののち、ネット右翼を中心とした保守系言論人が必ず述べる「最高裁も外国人への生活保護受給を違憲としている」という理屈につながっていくのだが、これは明確なデマである。

2014年7月18日に出された大分県の中国人女性が起こした生活保護却下処分を巡る訴訟における最高裁判決は、「外国人は、行政庁の通達等に基づく行政措置により事実上の保護の対象となり得るにとどまり、生活保護法に基づく保護の対象となるものではなく、同法に基づく受給権を有しないというべきである」とした。

要するに「生活保護法における受給権を(外国人は)本来有さないものの、行政処置によって保護の対象にはなる」と言っているのであり、「外国人への生活保護受給は違憲」であるという根拠は最高裁によって完全に否定されているのである。

「日韓条約のため」は史実からみてもトンデモ

また「片山理論」のもうひとつの骨子である、「在日韓国・朝鮮人の生活保護は、行き詰まった日韓交渉を進展させるために利用されたものだった」という日韓基本条約(1965年)にからめた説明も史実からいってトンデモである。

片山は、前掲書の中で、終戦直後、朝鮮人が日本各地で暴動や争乱を起こし、その圧に屈する形で在日コリアンに生活保護を与え、停滞する日韓交渉の材料として使用した、というニュアンスでしめ括っている。

日韓条約が難航したのは、1910年からの日本の朝鮮統治を巡る日本政府と韓国政府の解釈の違いであり、日本政府は10年から韓半島に投資した在留日本資産処理について、韓国政府は植民地統治の被害者として賠償を強硬に要求する立場という、二者の利害が徹底的に対立したからである。

日本の敗戦と共に、日本国内にいる在日コリアンの多くは韓半島に帰還したが、1950年の朝鮮戦争勃発によって再び日本に密航のような形で渡ってくるものがいるなど、混乱を極めていた。

日韓条約交渉は1951年から開始され、実に1965年の条約締結まで14年を要した長期交渉であった。その間、日本経済は朝鮮特需を経て戦後混乱期から見事に脱却し、高度経済成長が開始され、1964年にはアジア初となる東京五輪大会の大成功と、日本はまさに「昭和元禄」とされる活況を謳歌していた。