母親の生活保護受給の手順自体に違法性はなかった

片山は国会で、繰り返し繰り返し河本を攻撃した。これに対し、生活保護不正受給=在日コリアンと勝手に紐付けたネット右翼がこぞって片山を擁護し、これに反対するリベラル勢力が「生活保護受給は天賦権利」「行き過ぎた個人攻撃」として衝突。議論は空中戦になって片山に対し、批判と応援の両方が集中した。メタル兄弟のデモは、こうした喧噪の中で片山側に立って行われたものである。

ちなみに渦中にあった河本は、これに先立つ2012年5月、実母が15年間生活保護を受給していた道義的責任を「大変ご迷惑をお掛けしました。お騒がせして申し訳ありませんでした」と謝罪した。河本のテレビ出演はこれを機に激減した。河本の母親の生活保護受給手順自体に違法性はなかった。

この問題が一段落した後に出版された片山の著作『正直者にやる気をなくさせる!? 福祉依存のインモラル』(オークラNEXT新書、2012年12月)をひもといてみる。この本の冒頭で、片山は河本準一への追及理由をいの一番にあげ、次のように総括している。

〈私はなぜ河本さんの母親の生活保護受給について問題提起をしたのか。(中略)私は内々に報道関係者から情報を集めました。その結果、不正受給の疑いについてかなりの確証を得ることができました。(中略)また、私のホームページやブログに寄せられた情報によって、多くのテレビ番組に河本さんの「贅沢な生活ぶり」を示す証拠が残っていることも分かりました。(中略)高級住宅地の豪華なマンションに住み、子どもは有名私立小学校に通わせ、正月休みには家族で海外旅行にも出かけていました。(中略)河本さんという芸人は、そんな一般の感覚とはかけ離れたぜいたくな暮らしをメディアでさんざん語っていたのです。その彼がどうして自分の母親に月6万から7万円程度の生活扶助費を渡すこともできなかったのでしょうか〉

つまり片山によれば、週刊誌とネット情報(フォロワーからの提供)により、河本準一はさんざ贅沢三昧をしていた、との情報を得た。ブルジョワの河本が自身の母親に月額6、7万円を融通することぐらい訳のないことである。にもかかわらず河本の母親は国家の血税から生活保護を受け取っていた。これは母と子の連帯不正である、と言いたいのである。

「不正受給=在日外国人」というデマを信じ込む

画/ぼうごなつこ

この理屈からは、まるで河本準一とその母親が同一の人格であるように語られている。河本準一とその母親は別人格である。河本準一がどんなに芸能人として成功していようと、母親とは別人格であるので、もしかしたらこの両者の関係は断絶しているかもしれないし、疎遠なのかもしれない。子供が成功したり親が成功したりすることによって、付随的にその親族もその恩典にあずかれるはずだというのは、いささか後進的な家族観である。

日本社会ではどうも、「子供は親の世話をみるもの」(あるいはその逆)という固定的な家族関係が行き渡っており、親と子の人格が時として一体として捉えられている。

例えば芸能人の息子・娘(成人済み)が覚醒剤や強姦などの犯罪を犯すと、必ずと言ってよいほど、社会的にも法的にも別人格の親が謝罪会見を開き、本来別個のはずの親がこの不祥事の責任を取って謹慎をする、という慣例がある。

この場合の謝罪は、法的な謝罪ではなく、世論を忖度した「道徳的責任」であって何の根拠もない。実際、河本準一の謝罪も、法的責任を認めたのではなく、テレビの醸成した世論の雰囲気に押された「道徳的責任」の圧力に抗しきれなくなっただけに過ぎない。親と子は、血縁という以外、どこまでいっても別人格、別個の存在だ。

これは親と子を一体と観る、明治憲法下の「イエ制度」の残滓であり、極めて後進的価値観と言わなければならない。