世間にケンカを売るときは、批判への対処を考えておくべき

編集部の思惑通り、杉田論文(論文と呼べるほどのものではないが)には、発売直後から大きな批判が起こり、大炎上したのである。

当時、取材に来た朝日新聞に私はこう話している。

出版不況による新潮45の変貌(へんぼう)の影響を見るのは講談社「週刊現代」の元編集長、元木昌彦さんだ。新潮ドキュメント賞の発表誌でもある新潮45は1982年の創刊以来、硬軟織り交ぜた独自取材路線で鳴らしたが、ここ数年は急激に「朝日新聞やリベラルを繰り返し批判的に特集する『オピニオン路線』に変わった」。
取材費がかさみ売れ行きも読めないノンフィクション路線より「手軽に過激化できるオピニオン路線のほうが固定客を期待できると判断したのだろう。『悪名は無名に勝る』は編集者の性(さが)でもある」と元木さんはいう。

朝日新聞デジタル「杉田水脈氏寄稿、出版社の責任は ネットと深化の影響も」8月7日

付け加えると、部数が減少しているため(日本雑誌協会によると、「新潮45」の16年の平均発行部数は2万部超だったが、今年1~3月は1万7200部)、編集部がとった戦略は「正論」(産経新聞社)や「月刊Hanada」(飛鳥新社)のような"極右"路線だった。

朝日新聞や中国・韓国、さらに安倍政権に批判的なジャーナリストや学者をたたくほうへ舵を切るのだが、他誌との差別化ができないため伸び悩んでいた。

そこで若杉編集長が考えたのが、大暴論を吐く人間の起用だったと、私は思う。

この考え方を、私は否定しない。雑誌というのは、さまざまな意見が載っていていい。編集部と考えの違うことを作家や評論家が書いてきても、あれは編集部の見解とは異なるといえばすむ。

だが、世間にケンカを売るときは、それが出た時に起こる批判にどう対処するのかを、発表前に考えておかなくてはいけない。これは雑誌作りのイロハである。

2012年に「週刊朝日」で起きた連載中止騒動

覚えているだろうか。2012年に「週刊朝日」がノンフィクション作家・佐野眞一氏の緊急連載「ハシシタ 奴の本性」を始めた。

その中で、橋下徹大阪市長の出自を同和地区だとし、町名や地番まで書き込んだ。当然だが、橋下は週刊朝日ではなく、その上の朝日新聞を標的にして、猛然と抗議した。

私はこの時、週刊朝日側は、橋下が抗議してくることは十分予想できたはずだから、次に放つ二の矢、三の矢を考えているのだろうと思った。佐野氏の文章が、いつものような書き方ではなく、相当乱暴だったのも、橋下を挑発するための戦略だろうと考えていた。

だが、そうではなかった。朝日新聞側は慌てふためき、週刊朝日は担当者も編集長もひと言も抗弁することなく、全面降伏してしまったのである。筆者の佐野に連載中止を知らせてきたのは、白旗を掲げてだいぶ時間がたってからだった。

呆れ果てた。朝日新聞グループの伝統ある週刊誌が、ただ世間を騒がしてやれという目的だけのために、公職にある人間を同和だと名指ししたのである。

それなりの覚悟はあるはずだ。そう思っていたがまったく違った。結局、週刊朝日を発行している朝日新聞出版の社長はクビになり、編集長は更迭され、雑誌は残ったが、大きな痛手を負ってしまった。