なぜ「生産性」にかぎかっこを付けたのか

ここで、私が最初に、この文章を読んだとき考えたことを書いておきたい。

私は、講談社という出版社に36年間在籍していた。その間、仕事のほとんどは週刊誌か月刊誌、それも一般男性誌といわれるジャンルばかりだった。

その間、「平地に乱を起こす」ことばかりを考えていた。平和ボケしている日本に異論や極論という爆弾を投げ込み、それを巡って論争や批判を起こす。編集者の得もいわれぬ楽しみである。

私はこの杉田議員の文章を一読して、若杉編集長が「暴論が炎上して話題になり、売り上げにつながればいい」と考えたのだろうと思った。だが、違和感を感じた箇所があった。

彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり「生産性」がないのです。

なぜ、生産性にかぎかっこを付けたのだろう。元々の原稿にあったのか、わざわざ編集部が付けたのだろうか。

かぎかっこは、その言葉を強調するために付けられる。全体はLGBTについて書いているのだが、この生産性を強調することで、子どもを作らない男女も生産性がない、国に貢献していない存在だという印象が強くなってしまうのだ。

これによってLGBTの人たちばかりではなく、子供を欲しくても授からないと悩み苦しんでいる人たちも傷つけ、怒りを買ってしまったのである。

杉田議員は大ボスの安倍首相夫妻の心まで傷つけた

子どもを作れない人=生産性がない人=非国民。ウルトラ保守派の考えそうな単細胞的思考に思えてならないが、なぜ、編集部は見逃したのか、それとも加筆したのだろうか。

校閲界の東大といわれている新潮社の校閲部が、どうしてここをチェックしなかったのか。チェックしても、編集部が無視したのだろうか。聞いてみたいものである。

これは私の誤読ではない。それが証拠に、杉田を自民党に誘って比例の上位に押し込んだ安倍首相も、TBSの番組に出て、この問題について聞かれ、「私の夫婦も残念ながら子宝に恵まれていない。生産性がないというと、大変つらい思いに妻も私もなる」と語っているのである。

杉田議員は、自分の大ボス夫婦の心まで傷つけてしまったのだ。

私は、政治家に一番必要な資質は、自分の考えていることを、言葉で正確に国民に伝える能力だと思っている。しかし、安倍首相にしても、この杉田議員にしても、その能力が著しく劣っていると思わざるを得ない。