社長名義での見解公表は遅きに失したというしかない

9月18日深夜から、新潮社の公式アカウントのひとつである「新潮社 出版部文芸」は、「どうして低劣な差別に加担するのか」「ヘイト論文掲載について開き直り正当化」「新潮社の本はもう買わない」といった批判的なつぶやきを次々とリツイートした。

このリツイートはいったん削除されたが、19日朝から再開された。さらに新潮社の創業者・佐藤義亮氏の「良心に背く出版は、殺されてもせぬこと」という言葉も投稿された。作家たちも声をあげた。

「一雑誌とは言え、どうしてあんな低劣な差別に加担するのか、わからない」(作家・平野啓一郎氏)

「読者としても、執筆者の一人としても残念です。編集長の若杉さんには、直接その旨伝えましたが」(作家・適菜収氏)

新潮社の本を棚から撤去した書店も出てきたことで、ようやく危機感を覚えたのだろう。佐藤隆信社長が21日、「ある部分に関しては、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。差別やマイノリティの問題は文学でも大きなテーマです。文芸出版社である新潮社122年の歴史はそれらとともに育まれてきたといっても過言ではありません。弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です」との見解を公表したが、遅きに失したというしかない。

少数野党をたたくことにどんな意味があるのか

付け加えれば、今号の新潮45の巻頭特集は「『野党』百害」である。

トップ記事は中国・韓国へのヘイト本として強く批判されている『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社α新書)を書いたケント・ギルバート氏の寄稿だ。

野党は議論が下手だし議論する能力もない、民主主義の中核を担う政党としては失格だと切り捨て、中には売国奴のような人がいるとまでいうのだ。全編野党に対するヘイト文といってもいいだろう。

だが、現在、衆議院で3分の2を超える自公をたたかず、少数野党をたたくことにどんな意味があるのだろう。そんなに権力にすり寄りたいのか。権力者に頭をなでてもらいたいのだろうか。

雑誌は反権力でなければならないと青臭いことをいうつもりはないが、安倍政権をやみくもに賞賛し、朝日新聞という一メディアをたたく右派雑誌が3誌も4誌もある国なんて、日本だけだろう。おかしいと思わないか。

新潮社は保守的な出版社ではあるが、権力とは常に距離感を保ってきた。このままいくと、新潮社で本を出すのは嫌だという作家やライターが続出するのではないか。