安室奈美恵は「やりたいこと追求するが時代に迎合しない」
1990年代後半に「アムラー現象」が起きた後、安室はメディア露出を絞ってライブに力を入れた。その狙いは、本当のファンだけに来てほしい、万人に好かれなくてもいい、と考えたからではないかと筆者は見ている。松田聖子が「結婚しても、子どもを産んでも、プロとして自分は進化を続ける」という挑戦をやり遂げたのに対し、安室奈美恵は「やりたいことを追求するが、時代に迎合はしない」というやり方で、そのさらに上を行くことになったように思う。
自分の意志を曲げてまで誰かに媚びることもなく、自分自身が良いと思うことを貫き通す。時流におもねることなく、なびきもせず、凛として立つ。
安室は「『カッコいい』は女性に対しても男性みたいに使ってもいい」といっている(集英社『SPUR』2018年9月号)。“男性ウケ”あるいは“女性ウケ”という感覚ではなく、“私ウケ”するならば、それでいい。この「私らしく生きたい!」と全身で発するような生き様に、同世代の女性たちは強く惹かれたのだ。
そして、安室は自分のために生き、幸せになるために、40歳でリスタートを果たした。輝かしい芸能生活に自ら終止符を打つ、潔さ。ここに女性たちは心打たれる。
「女性が自分の生き方をプロデュースする時代の象徴」
人生100年時代と言われている今日、人生を折り返す手前での決断はひとつの人生を生き切り、「ここではないどこか」への旅を始めたということなのかもしれない。
新たな道に踏みだそうとする安室を見て、世の女性は、もっと幸せになるために、好きなことのために生きようと、自ら決断し、人生のリセットを考える人が増えていくのではないだろうか。
ある30代とおぼしき女性ファンは、テレビの街頭インタビューでこう話していた。「これまで安室ちゃんに引っ張ってもらった。(引退で)『これから先は自分で切り開いて』というメッセージをもらった気持ち」。
美空ひばりは「時代に従い」、山口百恵は「時代と寝た」。松田聖子は「時代の要請に応え」そして、安室奈美恵は「時代の先を見せ続けた」。
このように私たちは「時代の歌姫」を通して、己の生き方を考える。
安室が「女性が自分の生き方をプロデュースする時代の象徴」であるとして、果たして、次の時代にはどんなミューズが出て来るのか。願わくは、その時には名実ともに「ガラスの天井」が外れている国であるといいなと思っている。(文中敬称略)