昔と今の剣道では、身体の使い方が明らかに違う
【かじやま】そもそも、身体運動文化や動作改善を研究されるようになったきっかけは何だったのですか。
【木寺】僕の専門は剣道です。今も大学で剣道部の監督をやっていますが、若い頃は、学校の体育の教師でした。中学校で教えていた29歳のとき、剣道でアキレス腱を切ったことがありました。そのとき、ふと、「昔の剣道家も、アキレス腱を切ったのかな?」と考えた。興味を引かれて調べ始めたら、昔の剣道と今の剣道では、身体の使い方が明らかに違うことがわかったのです。
たとえば、今の剣道では、踏み込むときにかかとを上げています。だからアキレス腱が切れやすいのですが、江戸時代はかかとを地面につけたままだったと考えられる。そんなことを調べていると、江戸時代と現代の歩き方の違いに行き着きました。それが剣道における身体の使い方の根底にある。そう気がついて歩き方について研究するうちに、世間では、剣道の専門家というよりも、「歩き方にくわしい人」と思われるようになってしまって(笑)。もともとは、剣道をより深く知りたかっただけなんですけどね。
【かじやま】江戸時代と比べて、日本人の歩き方は大きく変わったとのことですが、なぜ変わってしまったのでしょう。
【木寺】僕たちは「身体の断絶」と呼んでいますが、近代以降、日本人の身体運動にとって大きな変化が2度起こりました。1度目は明治維新、2度目は終戦です。
明治維新のとき、強い軍隊をつくるために、明治政府は農家の青年を集め基礎となる行進の練習をさせました。ところが、当時の若者は隊列を組んだ行進ができなかったそうです。なぜかというと、歩き方が違ったから。和服を着ていたため、足を高く上げ手を大きく振って歩くことに慣れていなかったのでしょう。草履やわらじといった履きものの影響も大きかったと思います。
日本人の歩き方は「変わった」のではなく「変えられた」
【木寺】そこで政府は、学校教育の場でも盛んに歩く訓練をさせました。巧妙に計画を立てて、若者たちを一人前の兵士にするための準備をしたのです。言い換えれば、近代教育における体育は、子どもたちの幸せのためではなく、子どもたちを戦場に送るために始まったということ。
たいへん残念なことに、スポーツはその後もさまざまな形で利用されることになります。日本人の歩き方は「変わった」のではなく、「変えられた」と表現するほうが正しいと思います。
【かじやま】戦後の変化はどうだったのですか。
【木寺】終戦後の占領政策で、さまざまなスポーツやトレーニング法がアメリカから入ってきたのです。このとき、つま先や足の親指の付け根に体重を乗せて動くことがよいとされた。これが2度目の「身体の断絶」です。
草履やわらじを履いていた頃の日本人は、地面にかかとがしっかりとつくような立ち方をしていました。つま先は外側を向き、かかとやアウトエッジ(足裏の小指側)に圧をかけるようなイメージです。僕らはそれを「外旋立ち」と呼んでいます。
宮本武蔵の『五輪書』の足さばきについて書かれた一文にも、「きびすをつよく踏むべし」とあります。「きびす」とはかかとのこと。当時の武士は、かかとのあたりを踏みしめるようにして動いていたということでしょう。
ところが、西洋文化の影響で、靴を履いて歩くことが当たり前になった現代のわたしたちは、つま先のあたりに圧力をかけて立つようになったのです。
木寺英史(きでら・えいし)
九州共立大学スポーツ学部教授・なみあし身体研究所代表
1958年、熊本県生まれ。83年、筑波大学体育専門学群卒業後、福岡県広川町立広川中学校教諭等を経て、91年、国立久留米工業高等専門学校講師、同准教授等を経て2012年より現職。13年、大阪教育大学大学院教育学研究科健康科学専攻修了。なみあし身体研究所/動作改善普及センター代表。「二軸理論」をはじめとした合理的身体操作を提唱し、スポーツや武道において先進的な動作研究者として活躍中。著書に『本当のナンバ 常歩』『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』など。
かじやますみこ(梶山寿子)
ノンフィクション作家、放送作家
神戸大学文学部卒業。ニューヨーク大学大学院で修士号取得。経営者、アーティストなどの評伝のほか、ソーシャルビジネス、女性の生き方・働き方、教育など幅広いテーマに取り組む。主著に、自らのリハビリ体験をもとにした『長く働けるからだをつくる ビジネススキルより大切な「立つ」「歩く」「坐る」の基本』のほか、『トップ・プロデューサーの仕事術』『鈴木敏夫のジブリマジック』『紀州のエジソンの女房』『35歳までに知っておきたい最幸の働き方』『そこに音楽があった 楽都仙台と東日本大震災』などがある。