「倫理観を欠いた政治はひたすら劣化するしかない」
だが、有力紙のワシントン・ポスト紙が参加しないところがやや気になる。
1971年、ベトナム戦争に関する米国防総省(ペンタゴン)の極秘文書がニューヨーク・タイムズ紙によってスクープされる。いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」報道だが、このときワシントン・ポスト紙はすぐに追従報道し、そのときの取材力がニクソン大統領を失脚させるウオーター・ゲート事件のスクープに結び付いた。
あのワシントン・ポストのジャーナリズム精神はしぼんでしまったのだろうか。それともトランプ氏に関する大きなスクープを狙って深く潜行しているのか。
毎日社説は最後に日本の政治に言及する。
「メディアを攻撃することで、都合の悪い報道の正当性を損なおうとする。そんな政治家の姿は日本でも見られるが、倫理観を欠いた政治はひたすら劣化するしかない」
「『一斉社説』から改めて見えてきたのは、批判に耳を貸さずに突っ走る超大国の危うい姿だ。その危うさは人ごとでも対岸の火事でもない」
「倫理観を欠く政治」「批判に耳を貸さない姿」「対岸の火事ではない」と訴える毎日社説に賛成する。
言論と報道がなければ、民主主義は成立しない
朝日新聞の社説も、毎日社説と同様、一番手の扱いである。
冒頭で朝日社説は「社会の中に『敵』をつくり、自分の支持層の歓心をかう。そんな分断の政治が招く破局は、世界史にしばしば現れる」と書く。
「歓心をかう」とは、人に気に入られるように努めるときに使われる言葉だ。中間選挙が近いだけにトランプ氏は中間層の支持者らの歓心をかうのに懸命だ。メディアを敵にして分断を図る。これが民主主義の国、アメリカの大統領の行為だろうか。
朝日社説は主張する。
「明確にしておく。言論の自由は民主主義の基盤である。政権に都合の悪いことも含めて情報を集め、報じるメディアは民主社会を支える必須の存在だ」
言論と報道の自由があってこそ、民主主義が成り立つ。言論と報道がなければ、民主主義は成立しない。
先進国ならだれもが理解しているはずである。それをこともあろうにアメリカが喪失しようとしている。