予想外の事態をうまく利用しようという魂胆

自民党の総裁選が9月7日に告示され、連続3選を目指す安倍晋三首相(総裁)と、3度目の挑戦になる石破茂元幹事長の2人が、立候補した。投開票は20日。2012年以来の選挙戦は、この2人の一騎打ちとなる。

今回の総裁選は、6日に北海道で起きた地震を受け、9日まで討論会などを自粛する異例のスタートとなった。本格的な論戦は先送りされたが、安倍首相は党所属国会議員の8割以上の支持を集め、かなり優勢だ。対する石破氏は党員・党友による地方票の取り込みを狙っていく。

事実上の首相選びとなるだけに、私たち国民は2人の活発な論戦を期待している。しかし総裁選期間中に安倍首相が外遊するなど論戦の機会が限られている。そのうえ地震の被害対応に当たる安倍首相の動向や言動はテレビや新聞で逐一報じられるが、反対に石破氏はメディアへの露出が減る。

地震による選挙活動の自粛が安倍首相にとってかなり有利になる。安倍陣営は地震という予想外の事態をうまく利用していこうという魂胆だ。

2018年9月10日、所見発表演説会を終え、握手する安倍晋三首相(左)と石破茂元幹事長(写真=時事通信フォト)

安倍首相は祖父の岸信介元首相とそっくり

安倍首相と石破氏。今回の総裁選をきっかけに2人の生い立ちなどをあらためて比較してみると、安倍首相も石破氏も政治家になる宿命を背負っていたことが分かる。

安倍首相の父親は自民党幹事長や外相を務めた安倍晋太郎氏である。母は岸信介元首相の娘の洋子さん。次男である安倍首相は、周囲の期待を背負って当然のように「政治家」「総理大臣」を目指した。

小学校から大学まで一貫して東京の成蹊学園で学び、神戸製鋼所での会社員生活を経験した後、父親の晋太郎氏の秘書になった。晋太郎氏の死後、1993年の衆院選で初当選している。

政界に入ると、2000年に森喜朗内閣の官房副長官に登用され、小泉純一郎内閣まで3年務めた。2003年に自民党幹事長、2005年に内閣官房長官。そして2006年には戦後生まれ初の首相に就任した。52歳という若さで、戦後最年少だった。

しかし、2007年の参院選挙で大敗。9月には病気から退陣し、自民党も2009年に野党となった。

自民党が野党のときの2012年に総裁選に再挑戦し、石破氏に勝って総裁に返り咲いた。病気も克服し、戦後歴代単独3位という長期政権を維持している。

おもしろいのは安倍首相の政治に対する考え方が、祖父の岸氏とそっくりな点だ。たとえば日米の安全保障面での政策であり、さらには憲法改正だ。憲法改正などは岸氏ができなかったことでもあり、これを掲げて総裁選に挑んでいる。