問題を起こした組織の中では、建前と本音があまりにも乖離(かいり)していたのではないでしょうか。例えば、「忖度(そんたく)はいけないよね」というのは建前。でも、「総理のお友達がいたら忖度せざるを得ないし、それができないのはだめな役人だよね」というのが本音。「セクハラは、やっちゃだめだよね」というのが建前。「そうはいっても、そんなに杓子(しゃくし)定規にやっていたら、ぎくしゃくしちゃうよね。これぐらいは許してもらわないと、うっかり口もきけなくなっちゃう」というのが本音。

必要なのは「コンプライ・オア・エクスプレイン」

問題は、堂々と「その建前は無理」「それは現実的ではない」とは言わず、建前は建前で祀(まつ)っておいて、実際はこっそりと本音ベースで対応しようとしたことではないでしょうか。

この点、民間企業はかなり変わってきています。民間企業では、近年、コンプライアンス(法令遵守)が厳しく問われるようになりました。その際、「コンプライ・オア・エクスプレイン(comply or explain)」、すなわち、「遵守せよ、さもなくば説明せよ」ということが基本ルールとなっています。

ガバナンス、環境、労働分野など、国際基準の新しいルールができたけれど、現実問題として、日本企業としてそれを遵守するのが厳しい時にどうするか。「やっています」と表向きは言っておいて、こっそりルール違反をするのではなく、「これはできません。なぜならこういう事情があるからです」とエクスプレイン(説明)します。そして、そのルールが守れるようになったら、コンプライ(遵守)します。こうすれば、「やっています」とうそをつかなくて済むし、どのくらいの企業が遵守できているのか、どのくらいの企業が説明しているのかも見ることができます。

自分たちの物差しの「世間とのずれ」に気づかない

これを建前と本音の使い分け方式でやっていると、なぜできないのかを説明せずに済むので、なぜできないのか、どうしたらできるようになるのかを自らに問うチャンスを逸します。また、外には遵守しているとうそをついているので、外からしかってもらうチャンスも逃します。ほかの組織も建前と本音を使い分けているに違いないと思って油断しているうちに、自分以外はみんな遵守できる状況になっていたということにもなりかねません。

役所、大学、そして民間組織で起きた最近の不祥事は、彼らが建前でしかないと思っていたことが、世間では本音、あるいは本音に近づいているのに、それに気づかず、「(自分たちの)本音は許される」と思い込んでいたこと、そして、自分たちの物差しがいかに世間とずれているかに当人たちが気づいていなかった点に問題があるように思えます。