「大阪スパイスカレー」がカレー革命の火付け役のひとつ

そこには、なにより、大阪で起こったダイナミックなカレー革命の影響があったのでしょう。

かの地では、「大阪スパイスカレー」と呼ばれる、自由なスタイルのカレーが大ブーム。火付け役のひとつに、1992年開店の「カシミール」という一軒があります。ライスが見えないほどに、皿の縁ぎりぎりまで注がれたカレーは、紛れもなくサラサラのスパイスカレー。時代を先取りしたこの一皿で、同店は、ほどなく行列の絶えないレジェンドとなっていきます。

大阪・北浜にある「カシミール」の「ミックスB やや具だくさん+たまご」。「dancyu」9月号、特集「スパイスカレー 新・国民食宣言」より(撮影=斎藤健五)

主人の後藤明人さんが音楽ユニットEGO-WRAPPIN’の初代メンバーだというのは、知る人ぞ知るエピソードでしょうか。そのことがあってのことか否かは不明ですが、大阪のカレーシーンは、音楽と結びつきながら今に至る発展を遂げていきます。それは、フェスやイベントなどの開催も含めて、つくり手と食べ手が一体となって完成させた一つのカルチャーとなり、東京をはじめとした全国にその影響力を広めていきます。

「スパイスカレー」ブームはいかにして成立したか

一方、東京では、2010年に、二人のカレーの大物が、奇しくも時を同じくして“スパイカレー”と銘打ったレシピ本を上梓しています。

元東京カリ~番長・水野仁輔さんと、南インド料理教室を主宰する渡辺玲さんです。冒頭に戻りますが、スパイスが入るのが当たり前のカレーに、二人があえてスパイスカレーと名付けたのはこれまでのルウカレーと差別化するため。スパイスカレーという言葉はこのときが初出ではないかと言われています。

さらに、もともと、東京の湯島「デリー」、原宿「BLAKES(元GHEE)」、新橋「ザ・カリ」など、都内のカレーの名店は古くからスパイシーなサラサラカレーを供していました。

また、それとは別の文脈で、2000年代初頭には、京橋「ダバ インディア」を筆頭に南インド料理が本格上陸。南インドといえば、サラサラカレーの故郷。思えば、この頃から、外で食べるカレーは、小麦粉入りで粘度のあるルウよりもサラサラカレーが主流になっていったのではと思います。

こうして、東京では、老舗のスパイスを効かせたカレーに加え、本国の味そのままのスパイシーな現地カレー、大阪インスパイアのフリースタイルのカレー、さらにはその中間を行くバランスのカレーなど、多層なカレーが楽しめるようになりました。