だが、そうはいっても、味に対する感性は育ちによって随分と違うはずだ。
赤塚自身は料理人としての修業はしていないが、関西割烹の名店「出井」で修業した兄に習った経験もある。父の現役時代にはこんなエピソードも。
かつて、柿安は夏場には“うなぎ懐石”を出していた。父の二三雄にタレ作りを命じられた若かりし頃の赤塚は懸命にやったが、用事があるときは「本来1時間かかるのを40分で終わらせる」(本人)ような手抜きもやった。すると、父は味見して、味のことは何も言わず、「今日はどこか行くんか?」と必ず聞いたと言う。
こんな経験から赤塚は、「同じ原料を使ったタレでも火加減一つで味はまったく変わる。もちろん体調や精神状態によってもです」と話す。
このように赤塚はさまざまの体験をしてきた男だ。
「新しい業態や出店、新商品などがいけるかどうかはカンでわかります」と言うのも豊富な経験で裏打ちされているからこそのことであろう。
72歳になった今でも、「百貨店やスーパー、コンビニの売り場はよく覗きます」と旺盛な好奇心を隠さない。
自分の勉強だけでなく、ある程度の水準に達し、見どころがあると判断した部下がいれば「一流のものを味わう」ために食事に連れていったりもするし、勉強のための経費も惜しまない。
赤塚は温厚な顔に厳しさを隠した人物に見えたが、「社長は現時点で採点すると何点くらいつけられますか」と質問すると、「よくやっていると思います。それぞれの部門の責任者の常務も随分成長しましたし」と嬉しそうに言った。血のつながった子供である社長はともかく、常務たちは長年かかって赤塚の眼鏡に適う人材に育ったということだ。(文中敬称略)
(尾崎三朗=撮影)