なぜ地方分権が必要なのか? 「児童福祉司大幅増」の問題点
東京・目黒区の児童虐待死事件をきっかけにまとめられた政府の児童虐待緊急対策案。ここには、児童相談所の体制強化策も入っている。2022年まで、今から4年内に、児童福祉司2000人を増員するらしい。このような問題が起きると、必ず体制強化、人員増の話が持ち上がる。
待機児童問題解消のための保育士増、教員の負担軽減のための教員増、いじめ問題に対応するスクールカウンセラーの増員、治安維持のための警察官増、領海を守るための海上保安官増……とにかく人員増のオンパレードだ。
人を増やすことに表立って反対する人はいないだろう。そして無責任な政治家、自称インテリ連中は、そればかり言う。問題は、カネ・財源をどうするか、である。子供の命のためにカネの話をするとはなにごとだ! と怒る人も多いだろう。しかし、そう言えるのはカネの用意の責任を一切負わない、野党的な人だけだ。
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何か問題があるたびに、政府が旗を振って、人員増の対策を進めれば、政府の予算は無限に膨張していく。しかし日本にはそこまでの余裕がないし、もっと違うところにカネを使わなければならないという優先順位もあるはずだ。
課題を見つけ、その対策を考える。そして対策を実行するためには人員増をしなければならないというパターンは非常に多い。その際の人員増は誰が決めるべきか?
これはもちろん課題を解決する責任を負う者が、人員増についても決定権を持つべきである。権限と責任の一致である。当然のことである。
では児童虐待問題の責任者とは誰か? 中央政府なのか、地方自治体なのか?
日本は明治維新によって強力な中央集権体制の国になった。300の諸藩の連合体制である江戸幕藩体制から、一つの明治政府が決定権を持つ体制への変更だ。平成の世になっても、いまだにその本質は変わらない。このことが日本政府の際限ない肥大化に繋がっており、予算の膨張に歯止めが効かない要因でもある。
日本の財政再建を唱えるメディアや自称インテリは多いが、今の中央集権体制をそのままにしておきながら、政府の予算の膨張に歯止めをかけようとしても無理だ。小手先の節約や財政改革なんかでは今の日本の財政再建などできやしない。
節約や効率化はもちろんやらなければならないが、同時にやらなければならないのは、霞が関(中央政府)と地方自治体の仕事の役割分担を見直し、地方自治体に責任を持ってもらうと同時に権限も渡すことである。これが地方分権である。
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