後を絶たない児童虐待事件、市民である僕たちにできることとは?
幼い命が奪われた。しかも実の親の手によってである。報道で知る限り、亡くなった船戸結愛ちゃんは、表現のしようがないほどの苦痛を親から受けながら命を落とした。結愛ちゃんの残した文章を読むのは、今でも耐え難い。苦痛から脱したいという心からの叫び。と同時に、このような苦痛を自分に与えている親に対しても、まだパパ、ママと頼り、自分の苦痛は自分が悪いからだと反省する不条理。
児童虐待の悲惨さは、被害を受けている子供たちは、助かる術を自らの側で全く持たないこと。本来、子供が助けを求め、そして命をかけてでも子供を守る「親」その人が、子供を痛めつける。このような子供を助けるには、社会が助けるしかない。
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今回の結愛ちゃんの事件は、警察が情報共有しておらず、その点に強い批判が向けられている。今回の事件を契機に、児童虐待事案は全件、児童相談所と警察が情報共有する方針を宣言した知事も結構いる。既に児童相談所と警察が全案件情報共有している県もある。
東京都の児童相談所は、警察との全案件情報共有には否定的だ。報道で知る限りでは、警察と全案件情報共有することを前提としてしまうと、児童相談所に相談するのをためらう親がいることや、実際に親との信頼関係に支障を来してしまうということを理由に挙げている。
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僕は、児童相談所と警察との全案件情報共有を全否定しないが、全案件情報共有にまつわる問題点もしっかり認識しておく必要があると感じている。皆さんは、児童相談所と警察が全案件について情報共有することに何の問題があるの? と感じられるかもしれないが、知事、市長を経験したところからすると、僕はある危険を感じる。
組織が情報共有する際に最も重要なことは、各セクションの役割分担のルールと、具体的なアクションを起こすためのルール(基準)を設定することだ。これがなければ、情報共有をしたところで組織は全く動かない。役所組織というのは、学者組織の大学とは全く異なる。大学は物事を知っておけばとりあえずOKだが、役所組織は物事を知っているだけでは全くダメで、実際に動かなければ意味がない。ゆえに組織が具体的に動くためのルールが必要になる。
大阪府知事、大阪市長時代、悲惨な児童虐待事件が発生すると、必ず検証作業をやってきた。何とか防ぐことはできなかったのか? 行政や警察の対応でどこか問題だったのか? という視点で。