虐待は子どもの脳を萎縮させ、学習意欲の低下やうつ病などの原因になる。だが、夫婦喧嘩など、子ども自身に向けられた暴言や暴力ではなくても、ストレスホルモンによって脳神経の発達が阻害されることがわかってきた。小児精神科医の友田明美氏が、ある夫婦の実例を通じて警鐘を鳴らす――。

※以下は友田明美『子どもの脳を傷つける親たち』(NHK出版新書)を再編集したものです。

「不適切な養育」で損傷する子どもの脳

厚生労働省によると昨年度、児童相談所に寄せられた「児童虐待に関する相談件数」は、過去最多の12万件(速報値)を超えた。「虐待なんて、自分にも家族にも関係ない」と思っているかもしれない。しかし、児童虐待防止法の第二条「児童虐待の定義」には「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力」と書かれている。つまり子どもの前で繰り広げられる激しい夫婦喧嘩は「児童虐待」とみなされるのだ。

この30年、わたしは小児精神科医として、脳科学の側面から子どもの脳の発達に関する臨床研究を続けてきた。その結果、「チャイルド・マルトリートメント(不適切な養育)」によって、子どもの脳機能に悪影響がおよんだとき、生来的な要因で起こると考えられてきた学習意欲の低下や非行、うつ病や摂食障害、統合失調症などの病を引き起こす、または悪化させる可能性があることが明らかになったのだ。

「チャイルド・マルトリートメント(不適切な養育)」

maltreatment(マルトリートメント)とは、mal(悪い)とtreatment(扱い)が組み合わさった単語で、前述のとおり、「不適切な養育」と訳される。「虐待」とほぼ同義だが、子どもの健全な成長・発達を阻む行為をすべて含んだ呼称で、大人の側に加害の意図があるか否かにかかわらず、また子どもに目立った傷や性疾患が見られなくても、行為そのものが不適切であれば、すべて「マルトリートメント」とみなす。

わたしが研究や臨床の現場で、マルトリートメントという言葉を使っているのは、虐待という言葉では日常にひそむ子どもを傷つける広範な事例をカバーしきれないと考えるからだ。また、懸命に子育てをしている親に対して「虐待をしている」とレッテルをはることにより、親の人格を否定してしまったら、彼らの育て直しのチャンスを奪うことにつながってしまうからだ。

子どもと接するなかで、マルトリートメントがない家庭など存在しない。ふたりの娘をもつわたし自身も、数々の失敗を経験してきた。親になった瞬間から完璧な親子関係を築ける人などいるはずがなく、トライ&エラーを繰り返しながら、徐々に子どもの信頼を得ることができるようになるものだ。

しかし、子育てに懸命になるがあまり、知らず知らずのうちに子どものこころを傷つける行為をしている場合がある。マルトリートメントは強度と頻度を増したとき、子どもの脳は確実に損傷していく。この事実をわれわれ大人は見逃してはいけない。