子どもの前で繰り返される母親へのDV
サヤカさん(仮名・35歳)は結婚後、エスカレートしていった夫による暴言・暴力に悩んでいた。機嫌を損ねると「なんでお前は何もできないんだ」「もっとまともなものを食わせろ」と彼女をなじり、頬をなぐり、物を壁に投げつけては破壊した。妊娠後もその行為は止むことなく、マミちゃん(仮名)が生まれてからも、夫は幼子の前で容赦なくサヤカさんを罵倒し、手をあげた。
こんな屈辱的な日々を送っていたサヤカさんにとって唯一の救いであったマミちゃんは、成長するにつれ夫の口調や表情を真似するようになった。「このままでは娘まで憎くなって、何かしてしまうのでは」という危機感に襲われ、わたしが勤務する福井大学医学部附属病院の「子どものこころ診療部」を母娘で訪れた。当時、サヤカさんは睡眠障害や食欲不振に悩まされていたが、同時にマミちゃんにも異変が表れ始めた。オムツがとれて久しかったが、日中遺尿(おもらし)をすることが増え、夜中に突然何かに怯えて泣き出し、寝付けないことが多くなった。
DV目撃でなぜ視覚野は萎縮するのか
わたしがハーバード大学との共同で行った研究によると、子ども時代にDVを目撃して育った人は、脳の「視覚野」の一部で、夢や単語の認知などに関係した「舌状回(ぜつじょうかい)」と呼ばれる部分の容積が、正常な脳と比べ、平均しておよそ6%萎縮していた。これは無意識下の適応とも考えられる。つまり、生き延びるために、脳はその形を自ら変えるのだ。視覚野が萎縮すると会話をする相手の表情が読み取れなくなり、コミュニケーションをとるさいに支障が出てしまう。子どもにとって大問題だ。
このように子ども自身に向けられた暴言や暴力でなくても、激しいいさかいを目撃することにより、体内にはストレスホルモンが分泌され、脳神経の発達が阻害されるのだ。
想像してみてほしい。子どもにとって大事な存在である両親が目の前で言い争っている。例えば、父親が母親を頻繁に怒鳴りつけ、母親が父親の悪口を常に言い続けているような環境で、子どもが健やかに育つはずがない。
夫婦喧嘩と侮るなかれ。このような状況が継続される場合、子どもを一刻も早くマルトリートメントがある状況から救い出し、安心して暮らせる環境を整える必要がある。