なぜ東京都に「中核市」が少ないか?

児童相談所の設置のように、面倒くさくカネのかかる仕事は、地方自治体は積極的にはやりたがらない。口では地方分権! 市町村が主役! と叫びながら、面倒くさくカネのかかる仕事は、都道府県や最後は国がやってくれる方がいいと考えているのが本音だ。

東京都の基礎自治体(市区町村)が典型だ。東京都内には60を超す市町村、特別区が存在し、20万以上の人口を抱える大規模な市や特別区も数多い。東京以外の地方だったら中心都市になるほどの市や特別区がゴロゴロある。

にもかかわらず、児童相談所を引き受けるなどの責任を負うべき中核市になった市は、2017年の八王子市が初めてである。中核市になると決定権も多く持つ代わりに、責任も持つことになる。中核市は、市区町村という基礎自治体の中では地方分権の象徴的な自治体だ。ただ、八王子市はせっかく中核市になったにもかかわらず、児童相談所の設置までは引き受けない。これは東京都に任せている。

東京の自治体構造の問題は、責任を負うべき・負うことのできる市や特別区がゴロゴロあるのに、市や特別区に責任を負わせず、全て東京都が責任を持ち、その代わりに都が決定権も握っていることだ。そして市や特別区も、責任を負いたくないから、中核市に移行せずに中核市よりも責任の軽い通常の一般市であり続ける。まさに東京都による中央集権体制。

これは日本全体の縮図である。日本全体においても、地方が責任を負わず、国が責任を持つ代わりに国が決定権も握ったまま。当然、国がカネを握ったままである。

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児童虐待、待機児童、教員の負担軽減、いじめ問題は地方が責任を負わなければならない。中央政府が責任を持つ話ではない。その代わり、決定権やカネも地方に委ねなければならないところ、今は、中央政府ががんじがらめに地方を縛り付けるルールを作って、決定権も金も握っている。医療・福祉・教育などのありとあらゆる行政領域において、中央政府は、児童福祉司の配置基準と同じく、科学的根拠があやふやな抽象的な人員配置基準を事細かに設定している。そして中央政府の責任の名の下に中央政府が人員増の方針を打ち出し、予算が膨張していく。

トランプ米大統領や、プーチン露大統領が、待機児童問題や児童相談所問題などに政治的エネルギーを割いているだろうか? そんなことはないだろう。彼らは激動する国際政治の現場で、国益を追求することに血眼になっている。彼らは、待機児童や児童相談所の問題などは地方政府がやることだ、と当然認識しているか、そもそもそんな問題意識すら頭にないかもしれない。

日本の中央政府も、中央政府がやらなければならない仕事に集中すべきである。地方がやるべき仕事は地方に責任も決定権もカネも委ねるべきである。

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