「ホンダの車に乗りたい」という人が増えた理由
その後、社会に自動車が普及するにつれ、ホンダは四輪車事業にも参入した。1964年には同社のF1マシンがレースにデビューし、最高峰のレースで技術を磨き、それを一般社会向けの製品に応用するという土台が整備されていった。
1980年代には、往年の名レーサーだった故アイルトン・セナがマクラーレン・ホンダのF1マシンを駆り、世界各地のサーキットを席巻するシーンに心躍らせた方も多いだろう。そうした取り組みが、「ホンダの車に乗りたい」という人々の欲望をかき立て、同社の業績拡大につながった。
1986年からホンダは小型航空機の研究に取り組み始めた。原動機、および二輪車から四輪車への流れを考えると、さらなる技術確立のために空(飛行機)を目指したのは、ある意味、必然だった。大空を自由に飛びたいという思いは、人類共通の夢でもある。それを追い求めて、ホンダジェットの開発が進められた。
ホンダは自動車で培った空力性能や燃費に関する技術、軽量化のノウハウを応用することで、小型ジェット機の機能向上に努めた。2017年、それが評価され、世界の超小型機市場でホンダジェットはトップの納入機数を記録した。
「三菱重工が遅れている」とは言い切れない
ホンダジェットと比較されることが多いのが、三菱重工業が開発に取り組む「三菱リージョナルジェット(MRJ)」だ。MRJの納入は、5度の納入延期を重ねてきた。そのため、ホンダジェットに比べてMRJは開発が思うように進んでいない、遅れているとの報道が多い。ただ、この指摘が正しいとは言えない。
ホンダジェットの開発も順風満帆だったわけではない。1986年にホンダが航空機の開発に取り組み始めて以来、販売にこぎつけるまで30年近い時間を要した。2003年に三菱重工は、MRJの開発プロジェクトに着手した。
両社の開発ヒストリーを見る限り、納入が遅れているというのは適切ではない。MRJに関しては、実用化に耐えうるジェット機を作るために必要な時間がかかっていると受け止めるべきだろう。
三菱重工とホンダの違いは、新しい製品である航空機の開発を、組織的に進めたか、個人中心に進めたかだ。三菱重工は、組織的な開発を重視した。その背景には、ボーイングのパーツの設計・製造を手掛けてきた組織の力を生かせば、国産ジェット機を作ることは可能との考えがあった。