書くことは、自分を客観視するための第一歩

――スーさんはラジオのパーソナリティーとして、月曜から金曜まで人生相談をしていますが、そこでも「自分のことを書きなさい」と言っていますね。

ジェーン・スー『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社)

書くことは、自分を客観視するための第一歩だと思うんですね。抱えている問題や不満を書き出してみると、おんなじことばっかり言ってるなとか、これ向こうの問題じゃなくて自分の問題だなとか、割とはっきりわかるので。だから文章がうまいとか下手とか、そういうことと関係なく、書き出すのを勧めています。

書き出すのが面倒なら、それは本当に解決したい問題じゃないのかもしれない。書くのがめんどくさいならブツブツ言うな、たいした話じゃないよそれ、って思うんです。

書くのは、問題を自分と切り離す作業で、それをすると大体どういうことが言いたいのか、問題や不満のありかが自分でわかってきます。

――お焚き上げの一歩ですね?

そういうことですね。

相談者が相談してくる気持ちに注目している

――人生相談は明治からあるような、古いコンテンツですが、なぜスーさんの「相談は踊る」は古臭く感じられないのでしょうか?

私がどうこうではなくて、万能なんだと思いますよ、相談というスタイルが。

どの時代にあっても、悩みの種類は5から10くらいしかないと思うんですよ、大雑把に分けて。それでもこれだけ続いているってことは、悩みって簡単に解消できないということですし、答える人によって同じ悩みも、意味合いや印象が変わってくるということではないでしょうか。

私は、整理がついてない長い相談が来たりすると、「長いなー」ってそのまま言っちゃったりもしますが、相談そのものでなく、相談者が相談してくる気持ちに注目するようにしています。斜めなものの見方をして、相談者の気持ちとずれて傷つけちゃうこともあるかもしれないので、そういう時は申し訳ないんですけど。

文章で回答する人生相談もやっていますが、ラジオとそんなに変わらないと思います。私が答える以上同じだと思います。