同志社大卒業後、アラスカに留学して知ったクジラ猟

【田原】同志社を卒業後はアラスカに留学する。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【春山】きっかけは星野道夫さんの著作や写真集でした。星野さんは、イヌイットやネーティブアメリカンなど、その土地で暮らしている人たちの目線を通して自然や文化を撮る写真家。星野さんの世界観に共感し、星野さんが拠点としていたアラスカへ行くことに。ただの旅人だとビザが取りにくいので、アラスカ大学のフェアバンクス校に留学し、2年ほどアラスカに住んでいました。

【田原】向こうでは何を?

【春山】大学では生物学を専攻していましたが、目的はむしろ休暇中。大学が休みに入ると、デーリングやシュシュマレフといったネーティブの村に行って、イヌイットの人たちとアザラシ猟やクジラ猟をしていました。自分で動物を獲ってさばいて食べ物にする営みは、人間の原点。その原点を自分でも体験したくて。

【田原】クジラ? どうやって獲るんですか。

【春山】獲り方は地域によって若干異なるようですが、僕がお世話になった村では浮きのついた鑓(やり)をクジラに撃ち込んだ後、銃で仕留めていました。

【田原】なんだろう。動物を殺すのがおもしろい?

【春山】おもしろいとかそういう感覚ではないです。生きていくということはほかの生きものの命をいただいて生きるということ。猟を通して人間の暮らしの原点を垣間見ることができた。生きていくことの厳しさを学び、仕留めた動物の魂というか、命というか、猟はその悲しみを背負う行為でもあると感じました。

【田原】悲しみを背負うなら獲らなきゃいい。買ってくればいいじゃない。

【春山】狩猟はネーティブの人たちにとって自分たちの文化を確認するための儀式の1つなんです。アザラシ猟やクジラ猟が行われるのは春の数カ月のみ。狩猟がない季節、イヌイットの人たちの多くがばらばらの生活をして、アメリカ人らしくジャンクフードを食べたりしています。猟の時季は村に住んでいる人が団結して、食べ物を得るために自分たちの手で狩りをする。猟は自分たちのアイデンティティを確認する儀式のような印象を持ちました。

【田原】帰国後はユーラシア旅行社に入られる。旅行代理店ですね。

【春山】星野さんのように写真家として生きていくつもりでした。その当時、日本最高のグラフィック誌だと思っていた『風の旅人』の編集長に、撮りためたアラスカの写真を送りました。雑誌には掲載されませんでしたがご縁ができ、帰国後『風の旅人』の編集部で働かせていただくことに。その編集部の母体が、ユーラシア旅行社だったんです。