世界経済フォーラムが発表した、男女格差の度合いを示す「ジェンダーギャップ指数」(17年版)では、日本は過去最低の世界144カ国中114位でした。G7の加盟国の中では最低ランクという結果です。

世界自由報道デーでは、女性ジャーナリストをセクハラから守る現地のメディア向け講習会もありました。そこではガーナ各地から女性ジャーナリストが集まり互いに今まで経験して来た職場での性的被害が語られ、団結して今後の対策について話し合われました。私は講習会を開いたノルウェーの政府関係者の女性に話をうかがったところ、その方は先進国の日本が72位のガーナよりランキングが低いことに驚いていました。日本政府の掲げている「女性が輝く社会づくり」とは一体誰に向けられたものなのでしょうか。

日本で告発することの代償

私もかつて週刊新潮を通じて性被害を告発しました。

話は昨年の春に戻ります。当時私はコロンビアで現地のゲリラを取材していました。2015年の事件後、被害届を出したら「日本のメディアでは働けなくなる」と警察から言われる中、捜査が始まりましたが、DNA、防犯カメラ、タクシー運転手などの証言があったものの、証拠不十分で不起訴をという結果になりました。レイプ被害後、精神的ショックから仕事ができない時期がありましたが、必死にフリーランスとして海外メディアとの仕事を増やし、やっと軌道にのせたところでした。

そんな中、週刊新潮から、私が受けた性被害を記事化できないかと相談されました。それまでも、性犯罪に対する法的、社会的システムを変えなければいけないと強く感じ、日本の信頼できるジャーナリストや大手のメディアに話し、何度か取材も受けていました。ただ、一向に記事は公にはされませんでした。日本の性被害に対する報道が及び腰なのは、テレビ朝日だけではないのです。

週刊誌での「記事化」は最初は不安だった

正直、当時の私は週刊誌にいいイメージを抱いてはいませんでした。それに私が被害を訴えている相手が安倍晋三総理に関連する本を2冊も出版している、“大物”であったことを考えると、週刊誌がどのような意図で記事にしようとしているのかわからず、最初は不安でした。

また記事を出して、何かあったらどう家族や周囲を守れるかなど、葛藤はありました。日本に帰国してすぐに記者に会い、最終的には、週刊新潮編集部に対して「性被害に関する日本の法的・社会的システムを変えなければいけないから取材受ける」という意図を明確にしたうえで、全てを語りました。

しかし記事が乗った週刊新潮が発売されると、私の生活は一変しました。自宅付近で不審な動きがあり帰宅すらできなくなり、友人の家に3カ月近く「隠れる」ことになりました。同時に起こったのはオンラインバイオレンスでした。SNSやメールなどで中傷や、「死ね」などといった脅迫を受けました。プライベートや家族について、事実ではないこともウェブに広がりました。恐怖で外出すらできなくなっていたそんな時ロンドンの女性人権団体から連絡をいただき、そのことがきっかけで、イギリスへ移り住むことになりました。これが私の告発の結果です。