イギリスでは「隠し撮り」の公表は認められている

一方で、女性記者が取材目的で録音したデータを自社で報道するのではなく、週刊新潮に提供したことが問題視されました。日本の社会では、これまでもこのような問題が起きるたびに、本質を見誤った意見が見受けられますが、本来非難されるべきなのは立場を利用してハラスメントを行った相手であり、同時にそれを黙認してきた周囲であるのは明らかです。

イギリスでは、公益性があることや、録音や録画が行為を証明するのに必要なことなど、条件を満たせば、シークレットリコーディング(隠し撮り)を公表してもいいという基準があります。最近、米フェイスブックから最大8700万人分の個人情報を不正に入手していたとされる英国の選挙コンサル会社の疑惑が報じられましたが、シークレットリコーディングが重要な証拠として、公開されています。

今回のテレビ朝日の件では取材との目的外で第三者に渡したことが問題視されていますが、最初から「セクハラ発言について取材したいので録音します」と伝えて福田氏は同様の発言をしていたでしょうか? 録音があったからこそ、それが大きな証拠となり公益性のある報道がされたわけですし、その結果として、当初は事実を否定していた財務省もセクハラ行為を認めざるをえなくなったのは間違いありません。

もっとも、これがイギリスのメディアであったら、所属先のメディアで報道されていたのではないかとも思います。被害を受けた人間がこの情報を、今後の被害の拡大、悪化を防ぐために第三者に渡すしか報道されなかったという事実を重く受け止めなくてはいけません。

テレ朝記者の勇気ある行動は称賛されるべき

また、財務大臣の麻生太郎氏の本件に対する対応についても看過できません。「番記者を男性に替えれば解決する話だ」「セクハラ罪っていう罪はない」「殺人とか強(制)わい(せつ)とは違う」などと無神経な発言を繰り返していました。

言うまでもないことですが、セクハラは他人の人権を傷つける行為であり、場合によっては民事上で法的な責任を問われる可能性があります。さらに強制的に特定の行為に及べば強制わいせつ罪に問われる恐れもあります。

テレビ朝日の女性記者がとった勇気ある行動はニューヨーク・タイムズの女性記者たちのように称賛されるべきです。そんな中、テレビ朝日は彼女から相談を受けながら、自社では報道せず、週刊新潮が報じるまで財務省に抗議すらせず、彼女を守らなかった。そのような風潮はメディア業界が保ってきました。世界がセクハラ対策について議論を深めているのにもかかわらず、日本の社会は旧態依然としたままで、そのことはとても残念に思います。