トップ10入りした超エリート選手の「その後」は?

【鎧坂哲哉(1位)】

この「トップ10」の中で大学卒業後も際立った活躍をしているのは、1位のタイムを出した鎧坂哲哉(現・旭化成)だ。明治大では1万mで日本人学生最高(当時)の27分44秒30をマークすると、社会人では2015年の北京世界選手権1万mに出場。5000m(13分12秒63)と1万m(27分29秒74)で日本歴代2位のタイムを持ち、ニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)では連覇(17・18年)も経験している。

【柏原竜二(2位)】

箱根駅伝ファンならば、真っ先に目がいくのが「山の神」と呼ばれた柏原竜二だろう。箱根駅伝は5区で4年連続の区間賞を獲得し、チームに3度の総合優勝をもたらした。また関東インカレ1万mで4年連続して表彰台に乗るなど、トラック競技でも活躍した。しかし、富士通に入社後は故障もあり、2017年3月末で陸上部を退部。その後は同社の社員として働いており、現在は同社アメリカンフットボール部「富士通フロンティアーズ」のマネージャーを務めている。当時の5000mのタイムでは2位につけた柏原だが、高校3年の12月の記録会でマークしたもので、高3の秋までは全国的にまったく無名の存在だった。

【早大進学組4人(3、4、6、8位)】

一方、この世代で当時「最強」と呼ばれていたのが、インターハイ5000mで2年連続の日本人トップに輝いた八木勇樹(3位)だ。そしてインターハイ5000mで日本人トップ3を占めた八木、三田裕介(6位)、中山卓也(8位)がスポーツ推薦で早稲田大に入学。国体少年A5000mで7位に入った矢澤曜(4位)も一般推薦で早大に入った。彼ら早大進学組は大学1年時から学生駅伝を沸かせている。3年時には、出雲、全日本、箱根を制して、「駅伝3冠」を達成した。しかし、最後の箱根は八木、三田らが出場できなかったこともあり、早大は4位に終わった。ちなみに中山はソウル五輪とバルセロナ五輪の男子マラソンで4位に入った中山竹通の長男。大きな期待を受けて名門早大競争部に入ったものの、学生三大駅伝は1年時に出雲を走っただけだった。以上、早大進学組の4人はみな、卒業後に実業団チームに所属したが、社会人ではいい結果を残すことはできていない。

トップ10のうち上記で紹介した選手を含む9人は大学卒業後も実業団で競技を続けた(9位の奈良眞太郎以外)。しかし、10年経過した現在も実業団ランナーとして活躍しているのは鎧坂ただひとりだ。想像以上に厳しい現実が浮き彫りになってくる。結局、高校時代に超エリートだった10人の選手のほとんどは大学時代か20代前半にピークを迎え、その後は下降線をたどったことになる。

▼「トップ20位~50位」の選手はどうなったか?

では、2007年、高校3年生5000mタイムの「トップ50」まで広げてみると、どうなるのか。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/msan10)

箱根駅伝の人気もあり、駅伝を本格強化している大学は関東だけでも30校以上ある。そのため、有力高校生ランナーたちの争奪戦は年々増加。トップ50ともなれば、引く手あまたといえる状態だ。授業料免除や奨学金を支給する大学もあり、筆者が高校時代だった約25年前と比べると、高卒で実業団に進む選手が激減している。

トップ50だった選手で、その後、大学で競技を続けたのは42人いる。そのうち41人が関東の大学に進学した。東洋大、早大、東海大、順大、駒大、山梨学大など強豪校ばかりだ。面白いことに現在、箱根駅伝4連覇中の青山学院大に進学した選手はひとりもいない。当時の青学大は箱根駅伝に復帰する前(予選通過できなかった)で、有力選手には見向きもされていなかったのだ。