目指したのは大学研究室と大企業の中間の存在
【田原】そこで聞きたい。パイオニアになろうと思ったのに、起業しないでグリーに入る。どうしてですか?
【島原】いま振り返ると、学生のうちに起業する選択肢はあったかもしれません。ただ、私はけっこう臆病な性格で、社会を何も知らずに起業すると悪い大人に騙されて失敗すると思って、まずは就職することにしました。条件は、ビジネスとグローバルの経験を早く積めること。グリーは当時、もっとも海外展開に勢いがあった会社の1つでした。
【田原】結局、グリーは1年で辞める。
【島原】グリーは難しい局面を迎えていて、入社後に海外拠点を次々に閉めてしまったんです。優秀な方が多く学ぶことも多かったのですが、海外経験を積むという目的を果たせそうになかったので、海外事業開発で人を募集していたKLabに転職しました。
【田原】KLabには何年?
【島原】合計2年です。ただ、転職して3カ月後には副業でいまの会社を始めています。最初は修士のときの研究室の仲間3人で、土日に少しやるくらいでした。
【田原】最初から画像解析のソフトをつくっていたのですか。
【島原】最初は受託開発です。もともと大学の研究室で研究者が困っていることを解決するソフトウエアをつくっていましたが、それを会社として受託し始めました。
【田原】研究者が困ってることって? さっきうかがった、ガン診断の話?
【島原】そうですね。あとは基礎研究です。たとえば薬の開発は、3万個の化合物が見つかっても、そのうち1つが薬になるかどうかというシビアな世界。見つける工程が手作業で、研究者の大きな負担になっていました。その作業を効率化したい研究者から、目的のものを画像から高速で拾ってくるソフトウエアの開発を頼まれたりしていました。
【田原】研究室でも同じことをやっていたのなら、そのまま大学でやってもよかったんじゃないですか。
【島原】私たちが目指していたのは、研究室と大企業の中間の存在です。一般的に優秀な研究者は大学の教授になるか大企業の研究者になる2つの道しかありません。でも、大企業に入ると研究者はパーツにならざるをえません。一方、いまや大学も予算を取ることを優先しなければならず、自由な研究ができる場ではなくなりつつあります。自分の研究を続けたければ、そのままスピンアウトして会社をつくるのが一番です。