厄介な仕事ほど具体的なディレクションを
やはり国務省に着任してすぐのころ、実戦部隊の将校(次官補)たちに、「米連邦議会へ行って議員と交渉はしたくないと思うか」とたずねたことがある。さっと手があがった。全員だ。それはそうだろうと思う。私にとっても楽しい仕事ではない。だが、やらなければならない仕事だし、私ひとりでは荷が勝ちすぎる。だから、皆にも分担してほしいと頼んだ。
部下の腰が引けているのは、おかしなことを言ってしまって連邦議会や国務省で問題にされたらどうしようと思うからだ。だから、政府の立場は必ず教えるので、その立場を守るようにしてくれとも話した。君たちならできる、信頼して任せる、と。
事前に私に相談する必要はない。自分の判断で議員に会いに行くなり委員会に出るなりして、彼らがなにを知りたがっているのかを確認してくれ。ただ、議員からの質問には、「たずねてくれてありがとう」という姿勢で対応すること。彼らは国民を代表する人々であり、われわれは国民に奉仕する公僕だからだ。なにか問題が起きたときは、全員でなんとかする。われわれはチームなのだから。
もちろん、刀を振りまわさなければならないこともある。
1986年にイラン・コントラでレーガン政権が大揺れとなったとき、フランク・カールッチとハワード・ベーカー、ケン・デューバースタイン、そして私が国家安全保障会議および大統領首席補佐官オフィスと協力し、対策に奔走。事態は収拾できたが、その過程で多くの首を切ることになった。だが、残った人々とはいい関係が保てたし、チームに新しく参加してもらった人々と残った人々も互いを信頼し、レーガン政権最後の2年間を成功に導こうとひたむきに働いた。この目標も達成することができた。