サークルでは、その人の属性や条件ではなく、人柄を長く見ることができますから、そこで「いい人だな」となって付き合う。付け加えると、マッチングアプリと、趣味での出会いの中間にあるのが、職場結婚でしょうか。社会的にも変な人ではないし、相手の言動を観察した上で、たくさんの中から選べるわけですから。

「1人の時間が大事だから」という言い訳

――一方で、趣味といっても、アウトドアなど他人と一緒にする参加型の趣味と、本や映画など消費型の趣味で問題は異なります。音楽好きでも、ライブでみんなで盛り上がるのが好きな人もいれば、家でレコードを聞いていたい人もいる。消費型の人は、1人で楽しむことができますから、出会いを求めない。

岸見一郎『愛とためらいの哲学』(PHP新書)

【岸見】なるほど。しかし、それも言い訳かもしれませんよ。「自分は消費型だから」というのは「1人で趣味を楽しみたい」という心理かも知れませんが、それは他人を遠ざける理由に必ずしもなりません。そもそも、自分の幸福を知って「自立」しているというのは大切なことです。

どういうことかというと、つきあったり結婚したりした2人が同じ趣味を持っているのは、いいときもあれば悪いときもあります。夫婦それぞれが「自立」していないと、幸福にはなりにくいものです。まるっきり一緒の趣味志向を持っていたら幸せなように見えて、それぞれが過剰に依存しあっていてささいなすれ違いがおこったり、見解の違いで軋轢(あつれき)が生まれたりすることもある。

だから、本当は「互いに別々の趣味を持って、さらに2人の共通の趣味もある」のがいいのでしょう。一緒にいるのも楽しいけれど、きちんと自分の自立した価値観も持っていないと。その意味では、自立した個人であることは、幸福につきあうことの条件でもある。

自立しているなら、なぜ「つきあう」の?

――「自立」はキーワードだと思います。思うのですが、互いに自立しているなら、つきあったり、結婚する意味はあるのでしょうか? 独り身の人は、趣味にしろ、経済面にしろ、自分の世界に「介入される」のを嫌がっているところがあります。

【岸見】うーん。行き着けば、「決心」というような言葉でしか表せないですね。

プラトンは、「お酒が好きな人は、どんな酒も好きだ」という言い方をしました。他の言い方をすれば、例えば「猫が好きな人は、どんな猫も好き」でしょう。つまり個々の対象の問題ではない。愛する技術さえあれば、誰も愛することができる、ということです。反対に、愛し方を知らない人は、相手が変わっても同じ間違いを犯してしまう。