危うきにあった時は、すべからく捨てるべし

30個の課題リストの中で私が目を留めたのは「囲碁」だった。中高年の男性たちの間では人気だと聞いていたが、彼女も好きなのだろうか。

「課題出しの際に『これまでやったことがないこと』を入れたかったんです。他のことは大抵は少しはやったことがありますからね。やったことがない究極のことは何か? と考えてみたら囲碁だったんです」

――それでやってみたんですか?

「アプリをダウンロードして1日1時間はやっています」

――そんなに?

「これすっごい面白い。私に合ってるんです」

定年後に目覚めたことのようで、彼女は興奮ぎみに語った。

――どういう点が面白いんでしょうか?

彼女はさらりとこう答えた。

「だって囲碁ってマッピングですから」

偶然かもしれないが、囲碁の碁盤は先程説明してくれたマッピングの座標に似ている。そこに点を打っていくというのも共通しているのだ。ちなみに囲碁は碁石を交互に打って、より多くの陣地を取ったほうが勝ち。相手の石を囲めば自分の石にできるのだが、全体のバランスも見渡さなければいけないというのがゲームの妙味らしい。

囲碁の世界には「囲碁十訣」という10カ条の戒めが伝えられている。あらためて読んでみると、そのうちの3つに「棄」「捨」、つまり「捨てる」という意味の言葉が入っていた。

「棄子争先」
「捨小就大」
「逢危須棄」

順に説明すると、「子(石)を捨てて先を争うべし」。犠牲を払ってでも先手必勝ということ。石とは過去に打った石なので、過去を捨てて先手を取れ、とも解釈できる。次の戒めは「小を捨てて大につくべし」。局部にこだわらずに大局的に打て。そして最後は「危うきにあった時は、すべからく捨てるべし」。危険を感じたら当然捨てなさい、という戒め。いずれにしても捨てることで前に進む。南村さんのお話と重なるようで、リフォームにしても陣地は確実に固めているようである。

髙橋秀実(たかはし・ひでみね)
ノンフィクション作家。1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『ゴングまであと30秒』『にせニッポン人探訪記』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国 ニッポン』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『おすもうさん』『結論はまた来週』『男は邪魔!「性差」をめぐる探究』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』『日本男子♂余れるところ』など。
(写真=iStock.com)
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