天皇の永続を願う「君が代」は明治憲法下の国歌

伊藤博文らが起草した明治憲法には「以下に述べる憲法は御意の限りにおいて成り立つ」という前文(告文)があって、天皇による絶対君主制を謳っている。その絶対君主制の下で日本は戦争を行い、敗戦した。昭和天皇を個人的に責めるつもりはないが、開戦の詔勅も終戦の詔勅も昭和天皇が発したのだから、戦争責任があるのは間違いない。だから昭和天皇は自らマッカーサーに首を差し出したのだ。

しかし占領軍は天皇を罰することよりも、戦後統治に利用することを選択した。東京裁判で天皇の戦争責任を問うこともなく、国民統合の象徴として天皇を存続させて、主権在民の昭和憲法を置き土産に残した。絶対君主制の明治憲法と主権在民の昭和憲法は思想が根本的に異なる。天皇の永続を願う「君が代」は明治憲法下の国歌であり、「君が代」ではなくなったから昭和憲法に代わったのである。主権在民なのだから「我らが代」と言い換えなければ本当はおかしい。

日本国民はアメリカの都合で戦争責任を逃れて神様から人間になった天皇をするりと受け入れた。戦争責任の所在を曖昧にしたまま(天皇に行き着くことになるから戦争責任を明確にしたくない心情もあったのだろう)、与えられた平和憲法をわが子のように後生大事に守り続けてきた。しかし、アジアの国々からすれば、戦争を指揮した国家元首が何ら罰を受けることなく、戦後も日本の統合の象徴として存在し続けることをすんなりとは受け入れられない。「君が代」を国歌として歌い続ける日本人は反省が足りないように見えるし、平和憲法を金科玉条に掲げても信用できないのだ。

「核付き」「金なし」で南北統一

金正恩流“瀬戸際外交”はどこへ進むのか(北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長)。(KNS/KCNA/AFP/AFLO=写真)

五輪憲章で禁じられていながらオリンピックの舞台はしばしば政治的なプロパガンダに利用されてきたが、今回の平昌はひどかった。何より政治利用したのは韓国の文在寅大統領で、自ら先頭に立って南北融和を過剰演出した。結果的に南北対話が進展して、文大統領と北朝鮮の金正恩党委員長の南北首脳会談が4月末に開催されることが決まった。

この合意の際、北朝鮮は南北対話が続く限り、新たな核・ミサイル実験は行わないことや「非核化」の意思を示したという。さらに金委員長は平壌を訪れた韓国特使団にトランプ米大統領との首脳会談を提案、トランプ大統領は無条件でこれを受託して、米朝首脳会談の開催が電撃的に決まった。また、こうした「融和」の場を提供し平壌を訪問したIOCのバッハ会長にも金正恩は謝辞を述べている。

南北首脳会談について言えば、共通目標は南北統一で決まっている。韓国には祖国統一部、北朝鮮には祖国平和統一委員会という国家機関があるくらいだ。北朝鮮からすれば核・ミサイル大国である自分たちが統一の主導権を握り、金王朝の温存が前提条件になる。

一方の韓国にはあまり前提条件はない。むしろ急速な統一は韓国の負担が大きいと警戒している。当面は平和条約を締結して友好関係を築いて、韓国企業が北朝鮮に入って安い労賃で北朝鮮の人々を使いまくって韓国の国際競争力を高める。やがて北朝鮮の生活水準が上がって生活格差がなくなってきたら段階的に統一。これが韓国にとっては理想のシナリオだろう。