いざとなったら、やめてしまったっていい
「若者」以後の趣味生活を考えるにあたって最優先に考えなければならないのは、自分がいつまでもその分野の第一線の愛好家であり続けることではありません。自分が楽しみ続けられること、自分の人生を望ましいものにしていくことです。楽しみや喜びがあって、無理のないかたちで趣味生活が続けられるなら、それは続けたほうが良いでしょうし、実際に長続きするでしょう。しかし、続けていくことに負担を覚えるというなら、いっそやめてしまうという手もあります。
どのジャンルの趣味でもそうですが、就職後にお金の余裕が生じた若者は、趣味の手を広げようと思えば、どこまででも手を広げられます。知識や経験が足りなくて見通しがつかなかったことも、30代を迎える頃にはわかるようになってくるでしょう。絵や文章を書き続けている人なら、そろそろ技量に磨きがかかってくる時期です。仕事がある程度できている独身のアラサーなら、まさに“独身貴族”と言って良いような趣味生活を楽しめることでしょう。
だからといって、ゆとりにまかせて広く深く攻め続けていると、結婚や子育てなどのライフイベントによって趣味生活を縮小しなければならなくなったときにつらくなってしまいます。
「趣味=アイデンティティ」にしてしまう危うさ
趣味を広く深く追求すればするほど、あなたの「これって私」「俺ってこういう人間だ」に占める趣味のウエートは大きくなり、サブカルチャー方面のあなたのアイデンティティは堅固なものになります。「俺はオタクだ」「私はサブカルだ」といった意識も強まるでしょう。そのかわり、あなたのアイデンティティに占める趣味の割合が高くなるほど、いざ、趣味生活を縮小せざるを得なくなったときに困ってしまいます。なぜなら、アイデンティティの生命線が趣味一本になってしまった人にとって、趣味の縮小はそのままアイデンティティの縮小、あるいは喪失に繋がりかねず、心理的に耐えられるものではないからです。
現代社会には、攻めに攻めた趣味生活を続けた揚げ句、その趣味によってできあがったアイデンティティを手放せなくなり、人生の大きな決断を避けたまま年を取ってしまう中年も少なくありません。それはそれで愛好家としては志が高いというか、あっぱれな道楽人生ですが、リスクの高い道でもあります。