※本稿は、熊代亨『「若者」をやめて、「大人」を始める「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)の第4章「上司や先輩を見つめるポイント」を再編集したものです。
中年も毎日を一生懸命生きている
たぶん、誰もが一度は耳にしたことがあるかと思いますが、上司や先輩はしばしば「若いうちに勉強しておけ」「若いうちに遊んでおけ」などと口にします。
若者にとって、「若いうちに○○しておけ」という物言いは、お節介に聞こえるかもしれません。あなたがたはあなたがたで、若者として毎日を忙しく、一生懸命に生きているはずですから。その点を忖度することなく、ああしろこうしろと講釈を垂れる中年がうっとうしく思えることもあるでしょう。
中年の「若いうちに○○しておけ」という説教には、単にあなたがたの将来をおもんぱかって助言している部分ももちろんあります。しかしそれ以上に彼らの語り口には、彼らが「若者」だった頃にインストールした手札や積み重ねた経験をもとに生きていくほかなく、若い頃にやっておかなかったものの不足をどうにもできないまま生きていることへの嘆きが含まれています。
若者が一生懸命に生きているのとはまた違ったかたちで、中年もまた、毎日を一生懸命に生きています。若者は、アイデンティティの確立も含めて、自分自身の成長や未来のために生き抜いていかなければなりませんが、中年は、これまでに自分が作りあげてきたもの、やってきたことの結果としての現在を生きていかなければなりません。
手放せないものばかりになるのが中年
たとえば中年は、結婚したら結婚したで、しないならしないで、自分が過去に作りあげてきた現在からは逃れられません。もちろん、既婚者には離婚という手もありますが、離婚してバツイチとして生きていく場合も、過去に結婚して離婚したという履歴はずっと残ります。
仕事でもそれは同じです。ある程度責任ある立場となって、年収も上がり、部下も指導するようになれば、簡単にはそれらを手放せません。逆に、責任を持たせてもらえない立場であったとしても、責任を持たせてもらえない中年としての人生を、やはり簡単には手放せません。数十年の歳月のなかで、他人からの評価も、自分自身が抱いているセルフイメージも、だいたいできあがってしまっているからです。
どちらにせよ、過去が積み重なってできあがった結果としての現在によって、中年の人生はおおよそ決まってしまっているのです。