どうやって私は15億円をかき集めたか
【田原】品質が悪いって、どういうことですか。
【山崎】石灰石の溶け残りがあって、印刷機にかけたら機械を傷つけてしまったというような不具合が多発していました。品質を改善すればもっと売れるようになると台湾の製造元に話しにいくんですが、まったく聞き入れてもらえない。製造元は小さな会社だったので、ニッチに売れていれば十分という考えだったんでしょう。
【田原】ニッチじゃ兆のつく事業にならない。
【山崎】日本製紙の元技術者で、“紙の神様”といわれた角祐一郎さんと知り合ったので、台湾の会社に指導を受けたらどうかと持ちかけました。でも、首を縦に振らなかった。このままでは世界に広がる素材になりません。そこでストーンペーパーに見切りをつけることに。角さんに入ってもらって、10年から二人三脚で新素材の自社開発に取り組みました。
【田原】自社開発には資金が必要です。
【山崎】リーマンショックの後で、ベンチャーキャピタルは壊滅状態。資金集めには苦労して、国内だけでなく中東やシンガポールにもお願いをしに行きました。みなさん興味を示してくれるんです。でも、「一緒にやりたいが、まだ工場もない。生産できるようになったらまた来てくれ」と言われて、資金調達には至りませんでした。
【田原】工場を建てるのに資金がいるのにね。それでどうなりました?
【山崎】家賃も払えないくらいの状況になっていた13年2月に、経済産業省のイノベーション拠点立地推進事業に採択されました。採択されればほかの投資を呼び込むきっかけになるので、僕は1000万円でも十分だと思っていました。しかし、ふたを開けたら、9億円も補助金をいただけた。これが呼び水になって、結局15億円が集まりました。