孫正義の講演「兆のつく仕事をやれ」で火が付いた

【田原】手当たりしだいに声をかけて、どのくらい買ってくれるんですか。

【山崎】かなりの割合で買ってくれましたよ。3~4割はいっていたんじゃないですか。

【田原】そんなに! 山崎さんは口説きがうまいんだね(笑)。じゃあ、会社は順調にいった?

【山崎】はい。もともと友達と2人で始めて、3年後には7~8人の会社になっていました。ただ、そのころから徐々に友達や後輩に仕事を譲るようになりました。僕らがビジネスをしていたのは、田舎の小さなネットワークの中。うまくいって注文が殺到するようになりましたが、僕に偏りすぎると、ほかの友達や後輩が食えなくなる。だから少しずつフェイドアウトしました。

バチカンで気付いた、人生を懸ける仕事

【田原】やめて次は何を?

【山崎】先輩が建設会社を経営していたので、取締役として入って営業をしていました。どこかのゼネコンが公共工事を落札したら、そこに行って仕事をくれと頼むような仕事です。これは4~5年やりました。

【田原】20代の最後に、いまの仕事につながる転機があったそうですね。

【山崎】ロンドンでIT系の会社を経営している知り合いの社長に誘っていただき、初めてヨーロッパに行きました。ロンドンからローマに渡り、そこでバチカンを見て衝撃を受けました。僕が大工のときに建てていた建物はスクラップ&ビルドで、新しいものほど評価されました。ところがバチカンでは、つくるのに何百年もかけて、さらにそこでは昔と変わらない暮らしがいまも行われている。この景色に比べると、人1人の人生はあまりにも短い。そのことに気づいて、自分が死んだ後にも引き継がれて完成していくような大きな仕事に人生を懸けようと決心しました。

【田原】当時やっていた建築の仕事は、人生を懸ける仕事ではなかった?

【山崎】そうですね。グローバルで勝負できる事業をしてみたかったし、もっとわかりやすく世の中の役に立ちたいという思いもありました。あと、僕は孫正義さんが大好きで、孫さんの講演で「兆のつく仕事をやれ」と聞いたことも大きかった。自分の損得を考えているだけでは、せいぜい100億~1000億円の事業にしかならない。本当に世の中のためになる事業なら兆になるから、そこを目指すべきだとおっしゃったんです。そうなると建築とは別のことにチャレンジしないといけないなと。

【田原】それで山崎さんはどうした?

【山崎】ビジネスの種を探しました。もちろん簡単には見つかりません。バチカンに行ってから3年後、台湾の会社がつくっていたストーンペーパーにようやく出合いました。ストーンペーパーは石灰石を原料とした紙の代替品で、LIMEXと同じように水を使わない。これだと思って台湾に飛び、交渉を重ねて日本の輸入代理店の契約を結びました。

【田原】お客さんの反応はどうでした?

【山崎】トヨタがノベルティのメモ帳に採用するなど、日本の名だたる会社がいくつか使ってくれました。ただ、「ポテンシャルがあって面白い素材だけど、重くて、高くて、品質が悪い」という声が多く、残念ながらあまり売れなかったですね。