日本政治の未熟さが気になり、20年ほど前から浦安で選挙のたびに公開討論会を開く市民運動に加わり司会役を務めてきた。出馬を決意したのは4日、枝野氏らが立憲民主党を立ち上げた翌日だ。「地元選挙区から立ってほしい」という市民会議の声を尊重した。
立候補の書類は手提げ紙袋2つ分
嵐のような18日間が始まった。腹をくくった途端、お願いされる立場から、お願いする立場になった。
電話口で「立候補受諾」を聞いた福山幹事長は「ありがとうございます」と言ったあと、「すぐに県の選管に行って必要書類をとってきてください。ぐずぐずしていると書類が間に合わず立候補できないかもしれない」。私は鎌倉で会合に出ていた。長男に電話して「選管に行ってくれ」と頼む。「お父さん、選挙って、いったい何を考えているの」とビックリされた。「詳しいことは後で話す。ともかく急いで書類を取りに行ってくれ」と頼むしかなかった。
書類は膨大なものだった。手提げ紙袋で2つ、面食らった。書類は難解・煩雑。「選挙に出るのにふさわしくない人物でないことを証明する文書」なんていうのもあり、戸惑うことばかりだった。
「野党共同候補」になったので、政党の知恵を借りることができた。共産党、社民党、新社会党、みどりの党、地域政党のネットワーク千葉、それに民進党の県議・市議が支援に回ってくれた。選挙経験の豊富な人たちの手助けで、徹夜で書類を作り、選管に持って行っては審査を受ける、というやり取りが公示日まで続いた。
供託金は選挙区で300万円、比例区で300万円、併せて600万円かかる。立憲民主党を通じて払う。できて間もない新党にはカネがない。選挙区は自己負担、比例区は党が出す、ということで折り合った。選挙事務所が見つからず、公示日を迎えても自宅が事務所だった。団地などで看板を掛けられない。応援で訪れる人も玄関にあふれる靴を見て、遠慮して帰った。
カネなし、組織なし、経験なし
カネなし、組織なし、経験なし。その脆弱性が陣営の強みとなった。公示の3日後、地下鉄東西線の浦安駅近くのビルの3階に選挙事務所を確保した。すると政党や組織が丸抱えだと近づいてこないような有権者がどんどん事務所を訪れるようになった。ビラやポスターの証紙貼り、電話掛け、チラシの配布など、仕事を買って出てくれる。
「枝野たちを孤立させたくない」と思って決意した私と同じように、「頼りない候補者を応援しよう」と思った人が大勢いた。急仕立ての選挙事務所は電話が間に合わなかったが、訪れた人はスマホの「かけ放題プラン」で協力してくれた。若い人の中にはSNSに達者な人がいて「ツイッター部隊」を編成し、選挙運動をネットで中継し、カンパを呼びかけた。
その成果が6万2894票だった。当選に届かなかったが、2週間の運動でよくここまで来たと思う。
心配した供託金も戻って来る。選挙には200万円余のカネが掛かったが、制度を熟知していれば、この内の120万円余は公的助成が受けられたはずだった。一番掛かったのは選挙はがきの郵便代だったが、事前に選管に届けを出しておけば自己負担なしで郵送できた。
選挙でカネがかるとされる人件費は、ゼロ。応援に来た人たちがすべてボランティアでやってくれた。おかげで事務所の家賃や集会のための部屋代など実費だけで済み、実質的な費用は100万円程度ですんだ。選挙にカネが掛かるのは、カネで選挙運動をするからだろう。カネがないと人と知恵が集まる。これからの市民選挙の原型が千葉5区でできた、と思っている。