学歴とは浮輪のようなもの
『身の丈にあった勉強法』の中でも印象的なのが、「学歴は必要」とはっきり書いていることだ。菅さんは「芸人の世界では、自分に学歴があろうがなかろうが、子供には学歴を求める傾向がある。それは学歴が必要であると体感しているからだ」と書く。宇治原さんも「実際、芸能界ではどの人も自分の子供は勉強熱心に育てている。結果が一番雄弁に物語っていますよね」と言い添える。学歴無用論が“スマート”とも評される風潮の中で、なぜ「学歴は必要」と断言できるのか?
菅さんはしばらく考えたあと、「学歴って、浮輪みたいなものだと思うんですよ」と言葉を探し当てた。子供を海やプールでいきなり泳がせるのは忍びない。せめて浮輪をつけておきたい。というのも、親自身も自分は浮輪がなくて苦労したことがあったから。あるいは、たまたま泳ぎがうまくて人より速く岸に泳ぎつけたにせよ、あの時浮輪があればもっとうまくなれたのではないか、泳ぎ方を練習できたのではないかと、後悔があるから。だから、子供にも浮輪としての学歴が必要だと考える親が多いのではないか、と続ける。
「ただ、立派な浮輪があるとそれに頼ってしまって、浮輪をなかなか外しにくいというデメリットはあるんですけれどね」と、場が感心するほど納得感のある説明を終えた菅さんに、すかさず宇治原さんが「めちゃめちゃいいのを思いついたなぁ」と突っ込んだ。「僕らだって、本当は浮輪を外した方が速く泳げるのに、という場面もあるかもしれないです」と、菅さんは冷静な視線も忘れない。「まあ、これだけ学歴学歴と言っておいて、宇治原さんの子供がアホやったらええなと」(菅さん)。「それは面白い」(宇治原さん)。
上司には敬意を。同期への嫉妬は「ムダな時間」
社会人キャリアも20年選手の40代は、中間管理職として、組織の垂直方向にも水平方向にも、さまざまな悩みの渦中にいるだろう。しかも競争の中で育たざるを得なかったため、社内政治や周囲の出世など、決して心穏やかにはいられない。そんな中でわれわれはいかに生きるべきか?
実力主義の世界だからというのはあるかもしれませんが、と前置きしつつ、「芸人の世界では、年上だというだけで敬意を持つものなんです。だから、尊敬しない上司(先輩)はそもそもいない。尊敬できない上司は消えていく、厳しい世界ですからね」と、菅さんは指摘する。まず敬意あり、礼儀作法は後からついてくる。「先に生まれたと書く先生は、もうそれだけで偉い、という考え方を受け入れようということです。上司も同期も、全員に敬意を持った上で接さねばいけない。たぶんそこが欠けていると、会社でも世間でも苦しいのではないですかね」と、宇治原さんも諭す。
「なぜあいつが上司なのか」「なぜあの同期に負けるのか」といった不公平に感じられる人事も、客観的に長いスパンで見ると人事の間違いは少ないのだとか。「一度、自分が人事部になったつもりで配置してみるといいんです。すると、だいたい同じ結果になったりするかもしれない。全体を見渡すと、人事は意外と公平な判断をしているんですよ」(宇治原さん)。
自分たちだって、売れていく同期を見てざわつく気持ちがなかったといえばうそになる。「でも結局、適材適所なんですよね。僕たちは選ぶ側ではなく、選ばれる側。『商品である』という感覚が強いのかもしれません」との菅さんの言葉を引き受けて、宇治原さんはこう説明する。「冷めているわけではなくて、別の感情の使い方をするんです。嫉妬のような無駄なことに感情を使わないでおこう、と」。
学生時代から無駄が大嫌いだった、と宇治原さんは言う。どんな小さなことでも、例えば駅まで走るくらいのことでも、走る以上は絶対に電車に間に合いたい。受験だって、するなら絶対に受かりたい。そんな宇治原さんは「無駄にエネルギーを使いたくないから、負の感情を持ち続けないんです」。大波がうねる芸人の世界に20年以上身を置き、ストイックに自分たちの芸を磨き上げてきた男たちが言うと、説得力がある。