さらにまだある。現代の教育体制では、子供たちに対して、勉強さえできれば医師になりたいと考えることを促すメカニズムが働いている。
例えば、高校の授業に「公共」という科目が新設されようとしているのをご存じだろうか(2022年度を予定)。先のキャリア教育は高校生を中心になされるが、そこに公共心を養う教育プログラムが投入される状況にある。
公共教育の一例としてわかりやすいのは、環境教育である。環境教育は一時の流行ではなく、学校現場にすっかり定着した学習プログラムと化している。とかく本音と建前が交錯する日本社会の中で、学校教育は差しさわりのない範囲で正論を掲げ、事実、その教育は効果を上げ始めている。環境教育が、多くの人々の環境保全に対する意識を変化させたように、公共教育は公共意識、社会貢献への欲求を醸成する。
営利を目的とする一般企業の就職面接において、社会貢献を前面に掲げ、営利はどこへ行った、と面接官をとまどわせる学生は多いと聞く。これもまたこういった教育の影響であると言える。
医学部人気の過熱は必然である
結局、キャリア教育は、不確かな未来における複雑な「選択」を当然のこととして位置づけるようになった。しかし、その「選択」は極めて難しい。一方、公共教育は利益追求には言及せず、社会貢献の尊さを一心に訴えかける。
「選択」は難しい。しかし社会貢献はしたい……。こうした思いに応えてくれる職業は何であろうか。
ここに、親が医師ではない家庭の子供が医療現場に参入する契機がある。医療現場と縁のない家庭であっても、息子・娘が医学部を目指したいと言い出したならば、親はどう反応するだろうか。私立大学は莫大な学費がかかるから無理だ、と言う家庭が圧倒的だろうが、生前贈与を促す法改正(編集部注:教育資金の贈与は1500万円まで非課税にできる)の存在を知ればどうだろう、各所で家族会議、親族会議が開かれるであろうことは想像に難くない。
以上の文脈を踏まえれば、医師志望の高校生・受験生が激増することは、やはり自然な流れととらえることができる。弱者救済の仕事であり、公共心が満たされる仕事であり、かつその中でも相対的に高額な報酬が保証されている職業こそが医師である。
勉強のできる高校生・受験生が医師を目指す要因が複合的に存在することで、持続的に高まってきた医学部進学熱が、ここ数年でさらに異常な過熱を呈する状況は、当然のことながら一つの必然である。
医学部予備校 The Independent代表、学研「MyGAK」統括リーダー、映像講義「学研医学部ゼミ・スタンダード」統括リーダー、保護者対象講座担当。同志社大学法学部政治学科を経て、同志社大学文学研究科新聞学専攻修士課程修了。大学在学中から現代文講師として活躍し、1994年から2012年まで東進ハイスクール講師(2000~2001年、河合塾講師兼任)。主な著書に『名ばかり大学生』(光文社新書)、『誰がバカをつくるのか?』(ブックマン社)。