もうサブカルチャーの時代ではない

――モニターの外側とは?

この社会の現実そのものですよね。メディアではなくて衣食住や市民生活が変わりつつある。つまり、情報テクノロジーによってメディアが変わるというのは、あくまでプロローグにしか過ぎない。本当に大きな変化はこれからやってくる。僕はそう考えています。なので、2次元ではなくて、3次元に関わっている人たちと話すほうが、僕にとっては刺激的だったんですよね。それは、僕の批評家としての判断が大きく働いている部分です。そこが『母性のディストピア』とつながっています。

『母性のディストピア』は「かつてサブカルチャーの時代があった」という視点で書かれています。1960年代に「政治の季節」と呼ばれる時代があって、その後、先進国ではサブカルチャーの時代が訪れる。70年代から90年代後半までの四半世紀は、若者のはけ口、ユースカルチャーの中心が、政治からサブカルチャーに移っていった。革命で世界を変えるのではなくて、文化的なアプローチで自分の内面を変えて世界の見方を変えるんだ、という考え方です。

その時期は、若者向けのサブカルチャーについて深い洞察を持っている人間が、誰よりも世の中の本質をつかんでいる、という暗黙の了解があったと思うんですよね。で、ハッキリ言ってしまうと、僕はその空気の名残で出てきた人間だと思うんですよ。でも、僕より若い書き手で、そういったサブカルチャーをベースに世の中を語る人間がいなくなっている。それは当たり前のことで、もうサブカルチャーの時代ではないんですよね。

オタク文化から新しい価値を生めないか

――サブカルチャーの時代が終わって、今はどんな時代だと捉えていますか。

端的に言えば「カリフォルニアン・イデオロギー」の時代だと思います。ローカルな国家に政治的なアプローチをするのではなく、テクノロジーをグローバルなマーケットに投入することによってより大規模に世の中を変える、という考え方が大きな力を持っている。グーグルやフェイスブックがその典型例です。その新しい時代に何ができるか。

僕がこの数年間ずっと考えていたことは、戦後サブカルチャーの、しかもオタク文化という極めてユニークで奇形的な文化から僕が受け取ったものを応用して、新しい価値を生むことはできないか、ということでした。『母性のディストピア』は、そうした視点から書かれた本なんですよ。それはこれまでの著作とは決定的に違うところだと思います。(つづく)

宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家、批評誌〈PLANETS〉編集長。1978年生まれ。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)などがある。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部非常勤講師、立教大学兼任講師。
(聞き手・構成=柴 那典)
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