また、ドイツ軍は、ソ連との戦争のなかで、ソ連製トラクターならびにコルホーズと出会ったことも世界史的に重要である。たとえば、ドイツ軍は、独ソ戦時に、スターリニェツトラクターを多数鹵獲し、農軍両用に使用している。
コルホーズについては、ドイツ史家永岑三千輝がその先駆的な研究でつぎのように述べている(『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆』『独ソ戦とホロコースト』)。独ソ戦開始後6週間ですでに、ドイツはコルホーズのようなソ連式の経済システムを打破するという従来の路線が揺らぎ始めた。機械トラクターステーションの農業機械が敗退した赤軍によって持ち去られたり、破壊されたりしている現実が、既定方針の再考を迫ったのである。また、トラクターがあっても燃料がない。機械がないので、現地の農民たちは古い農具を持ち出して、自助の精神で農作業を始める。つまり、スラブ人を劣等人種だと見下し、反共産主義を党是としたナチスも、これ以上破壊を進めるよりもコルホーズを温存して再建する道が手っ取り早いと考えたのである。
「飢餓輸出」というべきテロル
また、トラクターは石油を欲した。永岑はこう述べている。「同盟国ルーマニアの国内消費を削ってでも確保しようとした。同盟国の燃料消費への圧迫といった必死の調達努力にもかかわらず、十分には確保できなかった」。石油が戦争の鍵となったのは、ナチスだけでなく東南アジアの油田地帯に侵攻した日本も同じであった。なぜなら、物資運搬のモータリゼイションこそが、戦争の鍵を握ったからである。
永岑が「生産物である食糧を治安政策的統合政策的にもっとも容易なところから削りとる。「大食漢」の除去、それが1942年に進行した「最終解決」の実質的意味であった」と述べているとおり、ナチス・ドイツの東欧およびソ連の一部の占領は、地元住民に飢餓を押し付けるかたちで進められた(『独ソ戦とホロコースト』)。この計画は、ナチスの食糧農業省の事務次官ヘルベルト・バッケ(1896~1947)によって作られたことからバッケプラン、あるいは、飢餓計画と呼ばれている。
ナチス・ドイツもまた、第一次世界大戦期のような飢えを避けるために、占領地の穀物徴発と本国への輸送に心血を注いだ。それは、飢餓輸出というべき、テロルであった。敵国のソ連と同じ行為を繰り返したのである。
京都大学人文科学研究所 准教授。1976年、北海道に生まれ、島根県で育つ。99年京都大学総合人間学部卒業。2002年京都大学人間・環境学研究科中途退学、京都大学人文科学研究所助手、東京大学農学生命科学研究科講師を経て、13年4月より京都大学人文科学研究所准教授。専攻・農業史。『ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』(12年/水声社刊、16年/「決定版」共和国刊)にて河合隼雄学芸賞受賞。その他著書に『戦争と農業』(集英社インターナショナル新書)など。