ドッペルゲンガーの「機械」

もちろん、ドイツやソ連ばかりではない。

イタリアではフィアットが1910年に最初のトラクターを完成したが、1917年にはイタリアで初の戦車となるフィアット2000を試作している。フランスのルノーも、19世紀末から20年間自動車を製作してきたが、1919年に最初の20馬力の履帯トラクター、HI型を完成している。これは、第一次世界大戦期に製作していた戦車をベースに作られたものである。ルノーもフィアットも両大戦期とも戦車や軍用車を生産していた。

ポーランドのウルスス社は、1893年に食品企業として創業するが、1922年に初めてトラクターを世に出した。しかし、そのあと5年でわずか100台しか製作できなかった。1930年に倒産の瀬戸際に立つが、政府が救済。その後、軍事用トラクターを700台生産している。

以上の意味で、トラクターと戦車はいわば双生児であり、ジーギル博士とハイド氏のようにドッペルゲンガー(二重人格)の機械であったということができよう。旧約聖書のイザヤ書には「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」とあるが、トラクターの登場によって、剣は鋤に、鋤は剣に自在に変化する時代が到来したのである。

ヒトラーとスターリンのはざまで

世界に誇るランツ社を擁し、「フォルクストラクター」を開発していたナチス・ドイツと、他方で急速にトラクターを輸入し、自国産でトラクターの生産ができるようになったソ連は、文字どおり、20世紀前半の世界政治の台風の目であった。

1939年に独ソ不可侵条約を結び、両サイドからポーランドを攻め、領土を分け合ったことは世界を驚かせたが、しかし、結局、反共を党是とするナチ党独裁のドイツは、ソ連に戦争を仕掛けることを避けられなかった。ちなみに両国とも、占領地開発のためにトラクターを輸出している。

1941年6月、独ソ戦が始まる。初めはドイツ軍が圧倒していたが、次第に赤軍に押し返される。その転換点となった戦いが、1942年6月から翌年2月までのスターリングラードの戦いであることはよく知られている。当時、スターリングラードはソ連の重工業進展の中心であった都市で、ここにはスターリングラード・トラクター工場があった。この工場は、トラクターだけでなく、ソ連軍を代表する中戦車T-34の半分近くを生産していた。また、一連の戦闘のなかでももっとも激しい戦闘が、このトラクター工場をめぐる戦いであり、戦闘でトラクター生産はストップした。